ボクがミカドさんと最後に出会ったのは、その、10日後のことでした。
 あれっきり、通信も何も届かなくなって、おちこんでいたボクの元に、なぜか、不思議なメールが届いたんっすよ。差出人は中央管制局。クラリティ市の宇宙港や通信局の総括をしていた部署からでした。
 そのメールのそっけない文面には、中央管制局へ来るように、との指示と一緒に、件のラジオと、あと、ミカドさんのために読もうと思って取り分けておいた本をもってくるようにとの連絡が書き込まれていました。
 ミカドさんと話す事が出来なくなってから、なんとなく、落ち込んで冴えない日々を送っていたボクは、そのメールに、思わず首を傾げてしまいました。
 微弱だったSPYの測定やテストのために呼び出されることはあっても、一般庶民のボクなんかにはまるで縁なんて無いはずの場所。そんな場所がボクなんかに一体何のようなんだろう? って思ったんっすよ。
 でも、同時に、頭のどこかでは考えてました。
 もしかしたら、これは、
 ミカドさんの最後に言った事に、かかわることなのかもしれないって。

 ―――結果的には、すべて、予想の通りだったっす。

 そうしてボクは、中央管制局の巨大なモニターで、ミカドさんと、最初で最後の再会を果たしました。
 連れて行かれた総合管理センターのブリッジ。たくさんの人たちが働いているその場所で、ボクが見たのは、今、まさに滅びていこうとする、一つの星の地表の姿でした。
 電磁波の嵐が凄惨なオーロラの牙となって空を噛み、大地は枯れ果て、隆起しては陥没し、雷や球雷が黒煙の雲を掻き乱す様子。酸を満たした内に瑪瑙を投じて、どろどろと溶かし掻き乱していくかのような空。それが、ボクの目の前に繰り広げられた光景でした。
 ―――美しい、と聞かされていたイプシロンVの、断末魔の姿。
 ボクは呆然としました。その凄惨さに、というよりも、その光景が、もう、一月も前に撮影されたものだったという事実に対してっす。
 一月前だったら、ちょうど、ボクがミカドさんと言葉を交わすようになった頃合でした。ミカドさんは緑かかったターコイズの空について語り、菫色の波を描いて太陽の沈む海原についてを語りました。……そのときには、もう、イプシロンの大地はこんな様子になっていた。
 ラジオのスイッチを入れるように促されて、ボクは、壊れた機械のような仕草でラジオの電源を入れました。そうしたら、声が聞こえてきた。
≪……子津くん≫
 懐かしい、あの人の声が。……ミカドさんの声が。
「ミカドさん……」
≪子津くん。久し振りだね。……君は今、中央管制局にいるんだね? ごめん。ずいぶん驚かせてしまっただろう≫
 ドーム状になったブリッジの天井、ほぼ全体に映し出されたイプシロンの最期。それを見ながら、ボクは、ほとんど呆然としながら、ミカドさんの声を聞いていました。
≪僕は君に悪い事をした。ずっと黙っていてごめんね。僕は…… このイプシロンVに残った最後の一人だったんだ≫
 ミカドさんは、語りました。どうして自分ひとりがイプシロンの地上に残されたのか。そのわけを。
 ミカドさんは、イプシロンVで唯一の、FL級の特殊通信士だったんっす。FL級の通信士って言ったら、超一流のテレパシストだと言ってもいい。それが星の破滅に当って、たった一人で地上に残された理由。それは、イプシロンから避難する人々を誘導し、また、救助を求めるためだったと言うんです。
 膨張する太陽の放つ強大な電磁波の前では、大抵の機器や通信手段は無効化されてしまいます。その上、貧しい植民星だったイプシロンには、星の全員を避難させてやれるほどには、『まともな船』が存在して、いなかった。地図も持たずマトモな航宙士もそろえられない中で、たくさんの人々を乗せた船が宙を飛ぶには、どうすればいいのか。……何者かが外部から誘導するほかに無い。
 そのために、たった一人、イプシロンに残り、人々を導き続けなければいけなかったのが…… ミカドさんだったんっす。
≪子津くん、僕は君を利用していた。地球圏の座標を正確に捉え続けるために、僕には、どこかに思念の『フック』を引っ掛ける必要があったんだ。僕の声を繋ぎとめて、進むべき方向を見つけてくれる、誰かの存在が。……≫
 ミカドさんの声がボクのラジオに届いたのは、言うとおり、ただの偶然によるものが大きかったんだと思うっす。でも、それ以上に、あの棘星のことが
あったんじゃないかとボクは思いました。イプシロンに生まれ、イプシロンに育った御門さんを、遠くの土地に取り残された、ちいさな一粒の星のカケラが呼んでいた……
「それって……」
≪その上 ……くは、嘘つきだったね。もう…… イプシロンには、空も、海も無くなってしまったのに、……≫
 ボクは震える手を伸ばして、小さなラジオを抱きました。気づいたんっす。ミカドさんの声が途切れがちになっているって。……そうして、ソレが、ボクのせいだっていう事に、気がついたんっす。
 ミカドさんが、本当の事をボクに言わなかったのは、ボクが、まだ、15歳にもならない子どもだったから。SPYの出力というものは、精神の状態にかなり左右されます。もしもボクに本当の事を言っていたならば、ボクは混乱し、思念もぐちゃぐちゃに乱れて安定を失ってしまっていたことでしょう。そうしたら、ミカドさんは、思念の『フック』を打ち込むべき場所を見失ってしまう。イプシロンを避難するたくさんの人々を導く道を無くしてしまう。
 ボクはラジオを抱きしめたまま、必死で首を横に振りました。見えないことはわかっていた。でも、ボクには、どうしても、声が出せなかったんっす。ただ、そんなことちっとも気にしてないって、ミカドさんと話す事が楽しいから、いろんな話をしただけだって、それだけを言いたかっただけなのに。
≪小さな…… 君に、辛い…… 思いを……≫
 ボクは首を横にふりました。喉の奥が砂利粒でも押し込まれたように重く痛くなった。目の奥がツンと熱くなりました。
「そんなこと……」
≪……ねづ、……くん≫
 ボクは必死で涙を振りちぎったっす。これがミカドさんとしゃべることの出来る最後だってことが、ふいに、頭じゃないどこかでわかってしまったからっす。ここで言うべき事を言わなかったら、きっと、一生後悔する。……ボクは、ミカドさんに聞きました。
「何か…… ボクに出来ることはないっすか」
 ミカドさんは、すこし、黙りました。……そうして、言いました。あのときみたいに、優しくて、やわらかい声で。
≪じゃあ…… 本を読んでくれないかな≫
 ボクは頷いて、荷物の中から、持ってきた本を開きました。読みかけていた古い古い物語の続きを、震える声で、涙を拭いながら、読みはじめました。
 それは、一人の青年の物語でした。
 貧しく生まれ、家族を失い、それでも強く生き、最期まで、人のために尽くそうと生きた青年の物語。
 そうして、物語のラストでは、青年は、多くの人々の命を救うため、自らの命を投げ出す……
 すべてを読み終わったあと、ボクは、ミカドさんに、恐る恐る、呼びかけてみました。
「……ミカドさん?」
 返事は、ありませんでした。ラジオは黙り込み、もう、一言も漏らすことはありませんでした。
 ボクはラジオを抱きしめ、床に座り込んで、ただ、泣きました。