太陽の王子と法のランプ



一日にひとつ、どんな願いごとでも叶えてくれる、オレだけに絶対的なその魔法。
山を消すも海を割るも、空を下げるも街を飲むも、金銀財宝、酒池肉林、天衣無縫、弱肉強食、焼肉定食、親父は転職…えーとあとなんだっけ…とにかく、魔人という絶大な力を手に入れて、結局。

「よし、今日は街におしのびで行こうぜ! 犬!」
「とりあえず、その呼び名を改めろ。 誰が犬だ」
「んだコラてめぇ、一昨日の願いごと忘れたのかよ?」

オレは毎日しょうもない願いごとばかりを魔人にかけ、魔人はしょうがないのでそれを叶え、山葵では生姜の代わりになりませんか?な日々を送っている。

「ちくしょう…どうして願い事の効力は一日だけって契約にしてくれなかったんだあのパイポ仙人…」
「ぐちぐち男が煩ぇな。 ほら、テメェも着替えな? 
そのナリで街中歩いたら、とっとと警備兵に捕まって王宮に引き戻されるのがオチだぜ?」

壁に向かって愚痴りだした魔人に呆れて、オレはくたびれた綿装束を放ってやった。
オレが着れば寝巻きみたいになるそれも、こいつが着るとそれなりな感じになるのはどうしたことか。
更にムカつくことに、魔人は自分のナリにまるで頓着しない。
与えられたものをさっと羽織って、鏡も見ねぇ。どころか、オレを見てげんなりしやがるその余裕。

「……俺の格好が思いっきり奴隷なのはともかく、何だテメェのその格好…」
「見て分かれよ、オレ、高貴な家に仕える下女、オマエ、その護衛についてきた軍人奴隷」

怪しまれずにスーク(市場)をうろつくのに、全くの市民をやっても、ボロが出るんだって。
ある程度の余所者感があったほうが、却って自然に溶け込めるの、オレの場合。

これはいわば、経験がモノを云うおしのびの知恵だ。
需要が少ないうえに周りに云えば褒められるどころかお付きの数を増やされるだけなので、自分の賢さをひたすらに隠していたオレは、ここぞとばかりに反り返った。が、云いふらかす相手が、役不足だった。
はぁ、とか、ふぅん、とか、野郎は生返事しか返してこない。焦れて、オレはひらりと裾を翻し、一回ターンを無意味にキメた。

「どうだ。 惚れそうに美しかろ?」

テルが太陽王なら、オレは美男王の冠で呼ばれようぞ、と意気込むオレに、

「全然。 おもいっきり脛毛がチュールから透けて見えてるんですけど」

魔人はボソッとマニアックな指摘をのたもうた。







砂埃に咽もせず、行きかう人々の忙しなさ。
立ちこめるはムスクの香り、ラベンダーの香り、汗とスパイスとアルコールと、捌かれた鳥の血の匂い。
派手な笑い声をたてて、そぞろ歩く若者の群れ。めしいた老人の物乞いの声。
雨の恵みとルビーのご加護を!西瓜売りの少年の常套句。

人混みによってフラフラと後に続く魔人とは対照的に、オレの機嫌はすこぶるよろしい。
あぁこの騒がしさ。血が沸き踊るこの感覚。

「こーゆーとこ来ると、米粉菓子のひとつでも、なんだってこんなに美味いんだろうな?」

石の上で平たく焼いたものにサフランを振りかけただけのそれは、王宮では下品だからとけして出されない類のものだったが、それでも外歩きを始めて以来の、オレの大好物だ。
こんなふうに、オレの知らないところに、オレの好みに属するものが当たり前のように存在しているだなんて、オレにはちょっと許しがたい。

そんな切ないオレの心など露知らず、なら取り寄せでも何でもすればいいだろうが、と魔人はうんざり呟いた。

「世界中の美味いもんを取り寄せることくらい、今のおまえならワケねぇだろ」

わかってねぇの。
ちろ、と睨みつけてやったら、ぎろ、と睨み返されてしまった。
ケンカの勝因は、一に体力、二に知力、三四がなくて五に虫の居所だ。
大人なオレは自己主張を引っ込め、愛想笑いをひとつ。

「ま、足腰弱って他に楽しみがなくなったら、そういうのも考えっけどよ」
「テメェ、じじいになっても俺をこき使う気か」

そう云うや、魔人は何故かカーッと耳を赤らめた。
何だ?近くにオンナのキャラバンでも通ったんか?

「当たり前田のクラッカー…って、ちょい待ち!」

訝しみ辺りを見回したオレだったが、先の通りに目当てのひとつだった露店を見つけて、懐かしのギャグもそこそこ、魔人の右腕を勢い引いた。
一瞬よろけた魔人が次の瞬間過剰なまでにオレを振り払おうとしたが、なめんなよ。

「まぁ犬! 私、あそこが覗きたいわ!」
「……は?」

水煙草の屋台の隣には、ひとり場違いな暗紅色の天蓋。
重い繻子を真似たその垂れ幕の向こうには、腰紐につけるアクセサリー(最近若い娘の間で流行っている)が所狭しと飾られているのが見えた。

「ほら、ついていらっしゃい。 娘さん、ご機嫌よう!
ステキ…なんて可愛らしいアクセサリーなんでしょう!!」

すっかりスイッチを入替えたオレに一瞬呆けた魔人だったが、なんていうか打たれ強いヤツだ。殊勝にも垂れ幕をめくり上げ、合わせて先を促した。
惜しいかな、この世で最も興味のない店に来てしまったと、極太のペンで顔一面に書きまくって。







真昼は陽の光りと緑の影にエメラルドの波紋を広げるこの王宮も、夜になれば月の光りに静かに沈み、青白くマーブル模様を際立たせる。
何処かで宴会でも開かれているのか、ハーレムの女達の余興に合わせたウードとカーヌーンの寂しい音色が大理石を伝ってオレの部屋にも漏れ響いた。
シャンシャンとなるタールの音にあわせて、寝転んだ姿勢のまま膝を叩く。
干し無花果に伸ばした手を引っ込めて、砂糖衣のナッツをひとつまみ、金で縁取られた瑠璃の杯で流し込んだ。

よく冷えた赤いこの飲み物は、舶来の酒だという。
いずこの神の子の血だという話もある。渋くて云われてみればかすかに鉄の味がするそれは、最近のオレのお気に入りだった。

「やぁ、やっぱ酒の肴は、たんぱく質に限りますなあ」
「…何、適当な生意気云ってんだ」

かなり大雑把な趣向で酩酊するオレに、魔人のノリはいまひとつだ。それもそのはず。

「うるせぇよ。砂糖入れて飲んでるヤツが」

あぁ、なんだってこんな暗いヤツを酒宴に招いてしまったのだろう。
だけどしょうがねぇ。月見酒なんて一人でするもんじゃねぇし、オレは今晩、なんだかとても気分が良い。

くふふ、と腹留に手を入れ、下服との間に挟んでおいた鈴を取り出す。
それは昼間のスークで買ったもので、翠色に金糸銀糸を混ぜて編みこんだ紐に大きさもまばらな三つの鈴がくくられていた。
千も万も色とりどりな紐の取り合わせの前でうろうろ彷徨うオレに、店番の娘はニヤリと笑って、物売りのセオリーを賢しらに打ったけど。

「うちの鈴は特別だよ。この世で一番美しく響くよう、呪いがかけてある。
どの響きがアンタにとっての一番かは、鳴らしてお決め」

忠告には従わず、オレは色だけでこれを選んだ。
鳴らせば、ちりり、ちりりと優しげな音。

ふと視線を感じて目をやれば、鈴を弄ぶオレを魔人が不思議そうな顔で眺めていた。
聞きたいことがあるなら聞けばいいのに。
魔人は無駄口は叩くくせに、これで意外とデリケートなところがある。

「そういや、アレだ。おまえ、何やらかしたんだ?」

酔っ払いの話はワープするものと相場が決まっている。
何の前触れもなく尋問体勢に入ったオレに、魔人はムッと眉をしかめた。

「何の話だ」
「とぼけてんじゃねぇよ前科モノ。何してとっ捕まってランプに閉じ込められたかって、聞いてんだよ」

閉じ込められてなんかねぇ。
云うと、フンと魔人は鼻で笑った。自ら仙人との契約で入ったのだと自慢げに説明されて、オレはちょっと泣きたくなった。どんだけ引きこもりなんだ、コイツ。

「魂の保護と引き換えに、自分の魔力行使に制約をつけた」
「魂の保護?」
「オレの魔力には限界がないからだ。道を誤れば、とんでもないことになる」

嘘つけや。一日一回、ランプの持ち主の利己的な願いごとを、叶えるだけじゃねぇか。
すっかり鼻じらんだオレだったが、魔人はそれにひそりと笑った。
伏せた睫に陰が宿り、細められた金色の眼がじっとこっちを眺めてくる。

大理石の床に敷いた絨毯は厚さもたっぷりな上等なものだというのに、寝転がっていた背筋にひやりと夜の風が吹いた。
あぁちくしょう。体勢を今更変えるわけにもいかず、そのままでオレは歯を喰いしばる。

そういや、すっかり忘れてた。
コイツは人ならざるものだってのに。

「行使の制限をつけたからで、本当の力を解放すれば、物の道理を変えるも、人の業を操るも、一夜で国を滅ぼすことだって出来る」

しんと冷えた、地の底から響くような厳かな声でそう云うと、魔人はふっと視線を外した。
云うだけ云って気が済んだのか、魔人は無理やり飲んでいた酒の杯を置いて、脇に用意された銀の盆へ呪文を唱えた。
ひとりでに宙を舞い、深入りされていない為に褐色も薄いコーヒーが魔人の手元に鎮座する。
それを一口すすり、満足げに溜息をつくと、

例えば人の心を変えるも、容易い話だ。

そ知らぬ顔で魔人は呟き、大きなあくびをひとつ洩らした。

「……今は、無理なんだろ。制限のついている、今は」
「どうだろうな。魔力の制限を、正確にはオレも知らない」

知りたいならおまえが試せ、魔人はそう鼻を鳴らしたけど、ふぅん、と鈴を弄びながら、オレは濁す。
それは甘い誘惑だった。
酒のせいで、くらりくらりと視界が揺れる。

「だけど、変えられたところで、魔力で変えた心にどんだけの意味があんだよ?」

揺れるついでに、滲んで、ぼやけて、何かがぼろりとこぼれた気がして。

「……変えたい相手でも、いるのか」
「おまえさあ、オレだってなんだかんだで16年生きてんだ。いねぇ方がおかしくね?」

よっこらしょと体を起こし、動作のついでにごしごしと顔を拭う。やっべぇ、と前をチラ見したけど、セーフだった。魔人はコーヒーのお代わりを入れるのに没頭していた。この朴念仁が。

「知るか。オレはおまえよりずっと長く生きてるけど、人に心を奪われないよう専念してきた」
「虚しくねぇの?」
「じゃあ自分は、虚しくないのか?」

心の届かない相手がいるのだろう、と返されて、心が眩む。ちくしょう。
そうだ。この鈴の音は、優しいあの人の声にそっくりだ。
酔った頭がぐらりと揺れる。急いで杯を置いたオレに、眉根を寄せた魔人がにじり寄って来る。
心配して肩に手をやったところで、頭突きでふっ飛ばしてやろうか。
そう悪態をつきつつ、だけど実際額に当てられた手の暖かさに、涙と鼻水が噴出した。

「……何だいきなり。汚ぇ」
「うるへー。てめぇにこの恋心がわかるかってんらよこの根暗」

ひとめでいい。ひとめ鳥の国の凪姫を拝んでみろ。
やぶれかぶれで魔人の上着を鷲づかみにし、おうおうとその肩にしがみついた。
跳ね除けるんならやってみやがれ、と爪まで立ててやったが、何故か魔人はピクリとも動かなかった。
たったのワインいっぱいで酔ったのかよザザマァねぇなあ、と内心呆れる。だけどそれなら都合が良い。

「オレはあんなに綺麗な人を見たことがない。言葉も仕種も、あんなに優しい人を見たことがない」

オレはずっと、誰にも、乳母にも従者にも、父上にも云えずにいたこの気持ちを、吐き出してしまいたかった。
いつか、あの人に告げようと思っていた気持ちだった。
だけどもう、永遠に告げることの出来ない気持ちだった。

「鳥の国は雨こそ豊かだけど、資源や技術に乏しく、国力は貧しい。むしろ、雨だけに縋っている。
なのに、国王も国民も信心深く、その貧しさを受け入れながらも神への感謝は欠かさない。
凪姫もそうだ。あの人はいつだって祈ってる。自分のことはからきしだ。それでも幸せだって笑うんだ」

オレはその笑顔が大好きだった。
くしゃくしゃに綻んでゆくその顔を、80過ぎても眺めていたいとずっと思っていた。

なのに。

「幸せだって笑って、その生涯を神に捧げるべく、16の春に斎宮入りが決まってる」

それは出会った時から漠然と知らされていた未来だったけど、どこかでオレは彼女の心変わりを祈っていた。
だけどこの夏、オレが16を迎えて尚、彼女の心は変わらない。

「てめぇにわかるか。力を封じて賢いつもりでいるてめぇに。
一度でいいんだ、お前と飛んだみたいに、あの人の手を取って、あの空を飛んでみたい。
あの人に、オレの知る全ての美しいものを、見てもらいたい」

オレは、あの人に届かない。
オレでは、あの人の信心に到底及ばない。
だけど、あの人だって所詮井の中の蛙だ。



知ろうともしなかった美しいものを見れば、或いはその心を、変えてくれるかもしれないのに。



完全に八つ当たりと知りつつも、オレは魔人にしなだれかかった。
笑い上戸で泣き上戸で絡み酒。こんなオレは大出血サービスだ。
むしろ光栄に思えこのヤロウ、とばかりに、魔人の胸倉を掴んで引き寄せる。

「オレには、おまえのその契約が、ものすごく勿体なく見えてしょうがねぇよ。
利用されんのが怖ぇのか?甘えんなバカ。
良いヤツが悪いヤツかの選別くらい、てめぇでしろよ」

自分の力で世界を滅ぼしても願い主のせいで無罪放免か、と詰め寄るオレに、魔人は表情を曇らせた。大して強く掴んでいないのに、息苦しそうに顔を背けてだらしねぇ。
逃がすもんかと襟を閉めたら、とうとう腕をなぎ払われた。お、やんのかこのヤロウ。
ひひひと笑って拳を固めたが、

「オレは、ダメなんだ。こうだと信じてしまうと、周りが何も見えなくなる」

魔人のツラはマジだった。

「おまえ、だけどその契約で、今まで悪いヤツに当たったことねぇの?」
「……あのランプに入って、初めて呼び出した相手が、おまえだ」
「あっそう」

一気に萎えた。
酔っ払いが、オレだけじゃなかったなんて。

「じゃ、良くも悪くもなかったんだな。バカみてぇ」

悪いけど自分が酔っ払っている時に、人の話を聞く気は毛頭ない。
これが恋バナならともかく、人生相談なんて冗談じゃねぇ。陰気野郎の身の上話なんか、尚更だ。
適当こいて話題を摩り替えてやろうと思ったら、急に魔人が立ち上がった。

「もう、今日の契約は終わった」

疲れた顔で魔人はそう云うと、ふいとオレから顔を背けた。
調子に乗ってつきあわせ過ぎただろうか。あぁいいぜ?と肩を上げて、オレはランプの方へ手を払う。

「じゃ、また明日な」

魔人はそれに答えずに、ふっと部屋からその姿を消した。
別にそれに気を悪くするオレではない。ヤツがきちんと暇の挨拶をしたことなど、一度もない。
だけど、なんでだろう。

「葡萄酒の一杯で酔ってんなっつの…」

触れるたびに感じた魔人とは思えぬ温かさと鼓動が、臆病な小動物か何かのそれのようだった。
おいてきぼりにされた広い部屋に、ことさら響くカーヌーンの音色。
オレはクスンと鼻を鳴らし、やっぱり月見酒はひとりでするもんじゃねぇ、と不貞腐れた。



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酒の力は偉大。