太陽の王子と法のランプ



ここ最近はずっと、抜けるような空と低い位置にある入道雲が映えた晴れの日が続いていたが、その日、太陽の国は珍しくも雨だった。

「いいか、お前が『オレ』じゃねえっつう事、ぜってえばれんじゃねえぞ」
「…とりあえず」
「とりあえずってなんだよ、てめえ、自分の魔力の凄さを語ってたのは誰だよ」
「……」
「あああもういい、いいからとっとと行って来い」

これだからアホ犬は、と目の前にいるオレに向かってぼやくが、どことなくしっくり来ない。いや、どことなく、と言うのが白々しくてならない程にしっくり来ない。目の前のオレの姿をしている奴がオレではないという事を解っていても、自分で自分を罵っている気がして、遣る瀬無い感じが否めないのがなんとも不快だ。
こんなところだけきっちりと完璧な目の前の魔人は、完全にオレの姿になっていて、そしてそのまま雨に濡れない様に軽く麻で包んだ花と手紙を持って、ふっと姿を消した。外に出たのか、と思い窓から外を見下ろしたが、雨の所為でよく見えなかった。
認識し得る限り、そこに魔人の、つまり、オレの姿はなかった。



事の起こりは、オレがあのランプを手に入れた日に届いた、鳥の国のナギ姫からのオレ宛の祝儀だ。
祝儀と言っても、国とは関係なく姫個人から送られてきたものであったので、鳥の国特有の涼やかな青を呈した慎ましやかな小さめの花束に、祝いの言葉と近状を述べた手紙が添えられてあるだけの、恐らく王だのに言わせれば受け取るには至らない、質素なものだった。
ささやかな花ですが、と添えられた手紙には書いてあった。
こんなささやかな花ですが、私の国の、私の大好きな花です。気に入ってくだされば良いのですが。

手紙を一度読んで、もう一度ゆっくりと目を通し終わった時点で、心臓がありえない位跳ねているのがわかった。
ばくばくと、鼓動は大げさすぎる音を耳の奥に響かせていて、止まってしまうのではないだろうかと心配になる程、はやく大きく脈打っている。目を瞑って自分の心臓を押さえつけて、おさまれ、と心の内で言い聞かせる。おさまれ。
おさまれ、おさまれと思う反面、おさまらずにこのまま死んでしまってもいい、と思ってすらいる自分がいるのは知っていたが、馬鹿じゃねえのかと考え直して、見ない振りをした。


つまりは。
そう、つまりは、魔人に、雨やら雑務やらで祝儀の礼に参る事が出来ないオレの代わりに、鳥の国に花を届けてもらっているのである。
毎年ナギ姫のこととなれば雑務くらい振り切っていく気は満々なのだが、間近に控えた祭事の準備やらで、この時期の宮殿内全体が忙しい雰囲気に飲み込まれている中、一人だけ、しかも王子である自分が放浪しているなどというのは言語道断だ、ということ位はしっかりとわきまえている。
そして、礼をするなら今のこの時期しかない、というのはもうここ数年の経験上、身に沁みて解っていた。事実数年前、王に、送るのなんぞ後でいいだろう、と言われるまま先延ばしにしたところ、そのまま礼を送る機会を逃してしまったのだ。それに懲りてから自分が自ら出向けないときは、侍女になんとか頼み込んで、王にばれない様なルートで礼をきっちりと送っていた。

「っつう事だから、ちゃんと届けろよ」

女はあまり好きではないと言うアホとしか言いようのない魔人が、「女か、」とげんなりした顔で聞くので、「当たり前だけど、ナギ姫はお前が思ってるような方じゃねえから大丈夫だけどぜってえ惚れんな、」とドスを効かせて言っておいた。ジョークで、「お前がオレになれたらそんな心配いらねえのになあ」と言ったら、鬱陶しそうな顔をして、「ついでだ、」と言ってオレの姿になりやがった。


で、まあこうして文頭に戻って、犬を派遣しおえて(消えたので本当に行ったのか定かではない)、オレは残った雑務をひたすらこなし続け、今に至るわけなのだが。

「…ん、」
しなければならない事も大方終わらせ、窓の傍のベッドに花弁を払い落としてから仰向けに寝転んで、窓から空を仰ぎ見る。
そろそろ収まってきたかと思っていたのに、雨はさっきよりも激しいくらいだ。そのまま視線を元に戻し、仄かな光を遮断しようと枕に顔を埋める。
横になった途端にどっと眠気に襲われて、ゆっくりと瞼が重くなってきた。
それに抗うことなく、沈み込むようなまどろみの中に埋もれていく。




しんと冷えてきた頭の中で、声がする。



『恵みの雨、です』

いつか聞いたナギ姫の声が、朗らかに微笑んだ顔と一緒に蘇る。

『鳥の国の雨は、本当に優しいんです』
そうです、ナギ姫。
あなたの国に降り注ぐ雨は、人に土地に、すべてのものに優しい雨だ。

『私も、そんなこの国の雨みたいになれればなあって』
あなたの国の雨は優しい。
でも、あなたはその雨になる事はできないでしょう?
人に物に、すべてに優しく在る事はできても、たとえ神様に生涯を捧げても、
あなたは雨にはなれないでしょう?
優しさだけを求めるなら、あなたはもう十分にこの国の雨のようなのに。
あなたは、それでもまだ。

『だから、私は神に仕えたいんです』
あなたは俺が知る限り最も優しくて、綺麗なひとだ。
それでもやっぱり、オレも、あなたも、世界を知らなさ過ぎる。

『私は、幸せです』

だってあなたは一度たりとも、オレに気付いてくれなかった。
身勝手な我侭であることはわかっていた。それでも、オレは気付いて欲しかった。

そのままのあなたがいいと思ってやまないオレに、

あなたは。















凪姫とは違う、低めの落ち着いた声に呼ばれた気がしてうっすらと目を開けると、魔人の嫌に整った顔がどういうわけか思わぬ至近距離にあって、一瞬ピントが合わなかった。オレがピントを合わせるよりも早く、魔人が顔を離したので、またしても視界がぼやける。
そこで初めて視界がぼやけているのはピントが合わないだけではなかった事に気付き、慌てて目元を擦った。
なんてことだ。

「…ちゃんと届けたか?」
「…ああ」
「ならいいんだけど、お前あれだ、犬だから届けないうちに手紙見ちゃったりとか、帰省本能だけで帰ってきたのかとてっきり…」
「…」

なんでもない風を装えば装うほど、どんどんボロが出ている気がしてならない。
いつもの軽口だとかそういうものは、いらない位に返ってくるのに、こんな時にだけ黙り込む魔人に、俺は尚更不安になる。声は震えていないか、目はしっかりと開けているか。
魔人が喋らない分、オレは俯いて早口で喋り続ける。肝心な事を喋らない代わりに、オレは他のところで多弁になる。逆光になって見え辛いだろうとはいえ、出来る限り顔はあわせたくなかった。魔人の目に、何か見透かされている気がしてしまうのだ。
うっかりしているとどうしてだか、また涙が滲んできそうな気がしたので、汗だかなんだか、そういうものを拭う振りをして、ごしごしと目を擦る。

「あ、そういや『オレ』じゃねえって、ばれなかったか?割と完璧だったから大丈夫だろうと思うんだけど」
「……猿、」
「姫には会えたか?すげえ綺麗でやさしい方だっただろ、お前が惚れても人じゃねえし勝ち目なんかねえんだか」
「猿」

怒鳴る調子に近い声の強さに気圧され、魔人の骨ばった大きな手に、がしりと目を擦っている手を掴まれ、思わず声を止めた。
そのままあの琥珀色のしんと冷えた目にじっとのぞきこまれ、身動きがとれなくなった。
人にはない目の鋭さと、人としか思えない手のあたたかさを同時に感じながら、ぼんやりと魔人を見あげる。

「……心を奪われないように専念するっていうのは、…こうだと信じてしまう前に、たとえ心を奪われても、自分でそれを認めず、なかったものとして扱うことだ」
「…なんの話だ、」
こんなことを問うなんて野暮だ。
頭ではわかっているのだ。それでも、これ以外の術を持っていないオレは、こういう反応しかできないのだ。
それをわかっているかのように、魔人はオレに構う事無く淡々と話し続ける。
「虚しいに決まってる」
「……」
「それでも、そんな虚しさをどうでもいいと思わせるくらい、オレは、心が届かず受け入れられないことが怖かった」
「…」
「だからオレはあの虚しさの先に何があるのか知らないが、人はその先を知っている」
「…、」

――『虚しくねぇの?』

それは、魔人の答えだった。

「…お前は、何も伝えずに終わるのか?」
魔人の、冷たさを湛えた、なにかを暴くような目がオレを見据える。
誰かがひた隠しにしているものをなんの躊躇いもなく暴いていけるその目が、オレは本当は羨ましかったのだ。どう足掻いても、オレにそんな事は出来ない。

畜生、ちくしょう。
オレが何を躊躇って、何に怯え、そして何をしたいのかを。お前はどうせわかっているんだろう。
何かを伝えないままむかえた終わりの先に待ち受けているものだとか、それを解っている上で目を逸らして生きようとするひとの悲しさだとか。魔力で変えた人の心の価値と同じように、自分からなにもせずに後に残るものなどに、何の意味もないこと。オレがこのまま何も伝えないでいようと思っていたこと。オレの未熟さや半端さ、甘さ。人の弱さも、きっと自分の強さや弱さでさえお前はわかってて、それでもお前は真剣に言うんだ。

「オレと違って人はとても弱いが、それでも、強く在る事が出来るだろう?」

受け入れられない虚しさを解っていながら、それを伝える事が出来る程に。
お前は、強く在るだろう?










『あなたは、…ちがいますよね、』
『はい?』
『もしかしてランプの精さんですか?』
『……』
『やっぱり。うふふ、王子が嬉しそうに話してらしたので』
『……、』
『あの方は、本当に元気でいますか?』
『…?…はい』
『そうですか、それならいいんです。あの方、すぐ無理をされるから…』
『…』
『最近あの方は、私と会っているとき、少し苦しそうな顔をされるんです』
『……』
『…ランプの精さん、…王子に、伝えていただけませんか』
『…』
『      』
『申し訳ありません。…オレには、…』
『そうですよね、ごめんなさい、…ありがとう』


猿が心を奪われたと言うその女は、
すべてのものに感謝し、すべてのものを慈しみ、綺麗に微笑む、強く賢そうな女だった。













ナギ姫。
俺はずっと、貴方が大好きでした。


「…うん」

ずっと伝えたかったのは、言ってしまえばそれだけなのだ。
行かないで欲しいと願った。笑って欲しいと願った。それはいくらオレが願っても、あの人にしか決められないことだった。
これまで積み重ねてきた莫大な会話の中に一度も出てきたことのないこの言葉は、オレが言うという事に怯えずにきちんと口に出せれば、上手く届かなくとも受け入れられなくとも、きちんと何かが伝わるはずなのだ。
それは、願うこととは違う、もっと親密で人間らしいものだ。

「…オレはそうするけど、…お前はどうなわけ、犬」
「とりあえず、何が」
「ほんとにお前、好きっつうか、大切な奴とか、いねえの?」

魔人の目がぎこちなく止まった。そのままじわじわと僅かに頬を赤らめた(正確に言うと、魔人の肌は浅黒いので赤くなるのではなく、赤黒くなった)のを、オレは見逃さない。

「え、なんだ、いんのかよ!なあ、どんなコ?オレ知ってる?」
「………今日の契約はおわりだ」
「ぎゃははは、なんだよ今の間!つうかここは教えるべきだろ!?あ、もしかしてオレに惚れた?」
からかい、発破をかけるオレに、魔人は変わらず頬を赤らめて不貞腐れた様な顔をしたままオレをじろりとねめつけてから、何も言わずに消えてしまった。
そんな魔人の態度にひとしきり笑ってから、オレはもう出てこないとわかりつつも、古びたランプを数度撫でる。
「…、なんか安心した」
一日一度しか出てくる事が出来ないので、ランプは何も言わない。それでもオレは話を続ける。
「正直さ、俺、やっぱり生きてて心奪われるもんがねえとか言い切れるお前が、ちょっと怖かった。
 でもオレは、」
「……」

「今のお前割と好きだよ」

でもって、そんな素敵なわんこには、明日みっちり寝堀穴掘り聞きただしてやるから覚悟しとけよ、と言いながらランプを少し強めにこすってやって、そのままそれを棚の上に置いた。
そのまま少し棚の上のランプを眺め、もう一度手元に戻した。オレは沢山の布の中からシルクの布を取り出して、それでランプを擦る。


オレが自分の気持ちを伝えたら、ナギ姫は、どういうだろう。ちゃんとあの優しい笑顔で笑ってくれるだろうか。
出来ればいつものようなオレの大好きな笑顔で笑って欲しいと思った。
それに伴う言葉が拒絶であれ、なんであれ。



きゅっとシルクで磨き終えたランプを大きな窓に向かって翳す。
空では雨を降らせ終えた雲の間から光が差し込み出し、ランプは鈍く優しく、その穏やかな光を返し、同じ光を柔らかに湛えていた。



おしまい!


猿凪仕立ての犬猿と言い張ります。