「えー、それでは!」
 バン、と大きな音を立てて猿野は机に両手を突いた。
「第一回宣伝戦略会議を開きます!」
「わー」
 向かいに座った御柳はおざなりな歓声と共に手を叩く。
「で?」
 その拍手もすぐに取りやめて、御柳は机に頬杖を突いて猿野を見上げた。
「具体的には? 何か考えあンの? 金はあんま割けねーよ?」
「その辺は織り込み済みだ!」
 親指を立てて見せ、猿野は机の上に積んでいた写真を手に取る。
「HPとか雑誌で広告も大事だろうけどよ、客引っ張りたいならポスターだろ!」
「ポスターねえ」
「そう! クラシックに興味ない奴の目にも付くからな!」
「あー確かに。鳥居のアレとか、すげーもんな」
 げらげらと笑いながら御柳は会計簿と電卓を鞄から取り出した。猿野の打ち出す企画だと言う点に一抹の不安が付きまとうが、ポスター案は悪くない。アイディア次第では真面目に予算を考えてもいいだろう。御柳の態度に気をよくしたらしい猿野は写真を御柳の目の前に並べ出す。
「つーわけで写真の候補も持ってきた!」
「…………え」
「なあ、どれがいい?」
 猿野の満面の笑みと広げられた写真を前に、御柳の脳は三秒ほど活動を停止した。
 上半身裸の犬飼、洗濯物にアイロンを掛けている犬飼、皿を洗っている犬飼、ヴァイオリンを弾く犬飼、犬飼犬飼犬飼。
 指揮、つーか音楽関係なくね?(辛うじてヴァイオリンが掠っているがそれも仮装付きだ)
「……マズいんじゃねーかこれ……? ……指揮者に見えねーし」
 我に返り、御柳はその中の一枚を震える指で挟む。
 どう見ても盗撮なのがまた問題だ(いや論点は最早そこではないが)。
「何言ってんだ! んなこと言ってたら剣菱さんとこに遅れ取っちまうだろ!!」
 バン、とまた猿野が机を叩く。壊すなよ馬鹿力、と恐々としながら御柳は猿野の剣幕に思わず椅子の上で仰け反った。
「いいのか!? 剣菱さんとこに負けて!」
「よ、良くはねーけど!」
「なら選べ!! 常識に囚われるな、心の目で見ろ!!」
 でも勝負のポイント間違えてるだろコレ、と御柳は続けようとしたが、続ける前に猿野に畳み掛けられた。ギラギラした目で凄まれ、御柳には言葉を続けることが出来なかった。
「……じ、じゃあ、オレはこの、皿を洗ってるヤツで」
 指に挟んだままだったそれを提示して言う。猿野が満足げに頷いたその時だった。
「御柳、プログラムのデザイン出来たぞ。目ぇ通しでくれ」
「げ、久芒さん」
 長い袖を揺らしながら近付いてくる久芒に御柳は頭を抱えたくなった。何て間の悪い。
 久芒は机の上に広げられた写真を見て眉を寄せた。
「お前達、何やってんだべな……あぁ? これ全部犬飼が?」
「ポスター用の写真ッス」
 また猿野が要らないことを言う。ふーん、とどうでも良さそうに相槌を打った久芒は一枚を何気なく取り上げ、
「ぶはっ!」
 一瞥したかと思うと仰け反って爆笑した。
 まあ妥当な反応だよなと投げ遣りに傍観者を決め込んだ御柳は溜息を吐く。
「どれがいいと思います?」
 爆笑されていることを意にも介さず聞く猿野はやっぱりどうかしているのだろう。
「オラこれだな! これがいいング」
「あーお目が高い!」
 二人して覗き込んでいる写真をチラリと横目で見た御柳は、本格的に事態を投げた。
 もうどうにでもしろと言う気分だった。もしこのまま本決まりになったらなったで後悔するに決まっているが、それでも今はこれ以上この事態に関わりたくない。
 何しろ二人が熱心に眺めているのは、中世の仮装をした犬飼がヴァイオリンを弾いている、イロモノさが際立つ一枚だ。
 現実を直視したくなくなって、御柳は頬杖を突くフリをして窓の外へと目を遣った。外はあんなに天気がいいのにどうしてここはこんなに異次元なんだ。
「これ合成なんか?」
「まっさか、本物ッスよ! マジ仮装!」
「そう言や犬飼の奴、ヴァイオリンも弾けるんだったな゙」
「そ、あれでかなり上手なんすよー」
「それ、売りに出来そうでねが?」
 今すぐこの二人を振りきって外に駆け出したい気持ちに駆られながら、御柳は青い空にひたすら祈った。この事態を打破出来てあの写真も却下してくれる誰か(二人しか思い付かないので望み薄だが)がこの場に来てくれますように。出来るだけ早く。
「んじゃ、こいづでオラがポスターのデザインすればいいんだな゙?」
「えっ、あんたデザイナー?」
「んにゃ、オラはチェロ。だけんども副業で色々やっでんだ。デザインもそうだし、漫画の翻訳とがもな゙」
「漫画!? こ、こち亀なんかは!?」
「あ゙ー、日本のは知り合いがやりング。オラは主にアメコミだ」
 どんどん会話が逸れていく。このままポスターの話が流れればいい、と御柳は本気で願っていたが、突然背後に気配が現れたことに驚いて振り返った。そこに犬飼が立っていたのを見て不覚にも感動してしまったのは御柳一生の秘密ではあるが、ともかくこの事態を打破出来るだろう二人のうちの一人、犬飼本人が奇跡的に表れた。
 感動した御柳だが、机の上を見た犬飼が見る見るうちに鬼のような形相を浮かべたので、思わず椅子ごと距離を取った。これから何が起きるかなんて火を見るより明らかだ。雷が落ちる。それも特大のやつが。
「おい」
 地の底から這い出てきたような低音で犬飼がまだ盛り上がり続けている久芒と猿野に声を掛ける。一瞬で凍り付いた猿野を見て、自分がやっていることが知れたら叱られる自覚はあったのかと御柳は場違いにも感心した。
「お゙、写真の人だべ」
 一方の久芒は全く悪びれる風もないどころか、人の悪い笑みを浮かべて写真をひらひらと振って見せた。
「ポスター、この写真でいいが? こっちの゙やたらどいい笑顔で洗濯しでる写真も捨てがたいんだけんど、どっちがいい?」
 犬飼は拳をブルブルと震わせていたが、やおらその手を振り上げた。
「ふざけんじゃねえ―――――!!!!」
 机の上の写真と久芒の手にあった写真を腕の一振りで薙ぎ払い、犬飼は猿野の襟首を掴むと憤然と出口へ向かっていった。
 床に落ちた写真に猿野は必死に手を伸ばしたが、結局一枚も拾われることはなかった。
 静まりかえった空間に久芒と二人取り残され、御柳はやれやれと椅子から立ち上がった。使う使わない使えないは別として、写真は猿野に返してやらねばなるまい。
「んで、どれを選びング?」
 拾うのを手伝おうともせずに久芒が言う。
「……マジでこっから使う気だったんすか」
「他に候補がなけりゃな゙」
「保留で!」
 御柳が毅然と(しゃがみ込んで写真を拾いながらであったので効果の程はともかく)言うと、久芒は最初から何もかも分かっていたかのような態度で
「決まっだらすぐ教えろな゙」
と笑って見せた。


後日談
「ほほほほほ! 何て地味なポスター! 見てぇ剣ちゃん!!」
「いや…………普通だよ、紅印……」
「勝ったも同然ね!!」
(聞いてないか……)
 自分が映ったポスターと並んで貼られた、3サイズは小さめの犬飼のポスターを、見ては高笑いする紅印にやや気圧される剣菱の姿が市内随所で見られたとか。












相方の瀬那さんが、のだめカンタービレパロを書いてくれましたv

『何故か御柳が可哀相になった。これなら由太郎でも良かったなあ。
ノエミも中宮弟でも良かったかもしれない。でも白春が男前大将だから!(私の中で!) 』
『それにしてもジャンとゆうこは剣菱と紅印でいいと思う、ほんと。やったわぁ剣ちゃーん! あなたのお望みのロッシーニとモーツァルトよー! って勝ち誇る姉御を「やっぱり紅印は俺の女神だよ!」って言いながら剣ちゃんが持ち上げて二人でくるくる回るわけです。うわー面白いなあ(他人事)』

とのことです。
のだめをご存じない方はつべこべいわずまあお読みなせえ。
オモシロいから。