「オレがコゲ犬の球をかっとばした時は、どしゃぶりだったんだ」
 と、猿野は拗ねた口調で言いながらオレを睨みつけた。
「何でお前、犬のこと華武に連れて行かなかったんだよ」



「何でオレがヘタレ犬なんぞとよろしくやんなきゃいけねえんだよ」
 猿野が一体何を考えてそんなことを言うのかちっともわからないオレは、まるきりわかってないことを悟られたくなくて、噛んでいたガムを素早く舌で丸めると、猿野の眉間めがけて吹き飛ばした。まだガムがやわらかければフーセンにして顔を隠してもよかったのだが、噛みすぎたガムは硬くて大きく膨らますことはできなくなる。よく意外と言われるのだが、オレは噛んで噛んで味がなくなったガムも結構好きだ。しつこく噛んで、硬くなって、しまいにはボロボロと崩れだすまで噛むのが好きだ。

「きたねえ!」
 目をひんむいてガムを避けながら、猿野が怒鳴る。殴りかかってくるのをかわしながらヘラヘラ笑ってやった。


 同じガムを数時間噛み続けると、ボロボロ崩れ出すということを知っているヤツはそうそういないと思う。
 100%、ヘタレ犬は知らないだろう。というか、オレの周りで知ってるヤツなんかいなかった。
 だからか、夏大会の後だべったとき猿野が「あー、オレもボロボロになるまで噛んだことある」と言ったのに、コイツとなら友情できるかもしんねえと思った。

 できるかもしんねえならやってみるかと、オレはちょいちょいと猿野と会っている。
 かなりの割合でヘタレがオプションでついてくるのが、不思議なようなアホなようなだ。
 おおまかに見積もったところ、オレが半径7メートル以内に居るというだけで、コゲ面がひんまがる。
 別に、オレは面白いだけだから構わないが。


 殴りかかる手を止めると猿野はむすりとオレから視線を外し、ちょうど7メートルの境界線を踏み越えてひんまがり出したコゲ面を迎えた。さっきじゃんけんで負かして買出しに行かせたのだ。
「テメエ、その面どうにかしろ」
「とりあえず、バカ猿のアホ面よかマシだ」

 言い返しながら、冥はひんまがった顔のまま首を少し傾げた。

「犬、キモい!」
 その仕草に猿野が反射的に叫んだ。オレも同感だ。
「キモいのはてめえだ!」
 鳥肌を立ててあとずさった猿野に、ヘタレが思いっきりジュースを投げつけた。馬鹿だ、コーヒー牛乳も一緒に投げやがった。

 猿野はしっかりといちご牛乳と烏龍茶だけをキャッチした。ちなみにいちごが猿野ので、烏龍はオレのだ。
 コーヒー牛乳はみっともなく道路に転がって、うっすら汗をかいている紙パックには、砂が付着する。まあヘタレにはお似合いだ。

「お前見てると、脳天カチ割ってカニみそ詰め込んでやりたくなるわ」
 脳みそ足りねーだろ犬コロ、と呟くのに
「コイツにはもったいねーよ、そこらの泥で充分じゃん?」
 と言ってやると、
「泥詰めたって犬は賢くならねえ」
 と返って来た。

 カニみそ詰めたって賢くならねえよとか、つーかコイツの脳みそはカニ以下かとか思ったが、まあどうでもいい。

「うるせえ、黙れ、人語しゃべれ猿」
「てめーこそ相反する命令形を並べんじゃねえ!」

 このヘタレと比べると、猿野ですら頭が良く見える。
「メイ、不憫な子……」
 思わずこんな呟きも洩れるってもんだ。


 ヘタレは何かオレに言い返したかったらしいが、それよりも猿野に踏み潰されかけたコーヒー牛乳を救う方を優先した。
 プライドよりコーヒー牛乳か、見上げたコーヒー牛乳好きだ。

 冥が黙ってパックにくっついた砂を払っているので、猿野は左手に握り締めていた烏龍茶を投げて寄越した。
 パックの角が潰れているが、紙パックを突き破って中身が飛び出したわけじゃないので文句は言わずに受け取る。



「で、何でコイツが華武に来た方が良かったワケ?」

 紙パックを握りつぶしながら、会話を巻き戻した。は? と頓狂な声を出すヘタレは二人で無視。
 猿野はズコズコとストローをすすり上げると、片頬を膨らませて空を見上げる。

「県大会ん時、晴れてたじゃん」
「あー、オレの打球が青い空に映えたな」
 このヘタレちゃんからいただいたホームランー、とニヤニヤ笑うと、るせえ、と冥がふくれる。
 秋大会は、決勝でヘタレからホームランをいただいて、うちが優勝した。
「そうそれ」
 頷きながら猿野がビッとオレを指差す。
「コイツが華武でピッチャーやってりゃ、青空に上がったのはオレ様の打球だったんだ」
「は? お前も打ったじゃん、フライとか、ホームランとか、フライとか、フライとか」
「フライが一本余計だっつーの」
 フライが二本で後はホームランと三塁打だ、と猿野に突っ込まれる。そうだったっけ、ととぼけて返したがもちろんその程度のことは憶えているに決まってる。

「ホームランは打ったけど、コイツの球じゃねえ。っつの」
 オレを指差していた指がビッと冥を指した。
 こういうときは、ちょっと嫌になる。猿野と冥がチームメイトやってるとこを見せつけられるときは。
「へーへー」
 肩をすくめて、「どーして猿野はこんなヘタレがいいかな」と呟いた。
「よくねえよ、お前何の話してんだ」
 猿野が思いっきり眉をしかめた。
 ハハハ、と笑ってぽんぽんと茶色い頭を叩く。
 叩くんじゃねえ! とオレの手を猿野の肘が跳ね上げる。


「話が見えねえ」


 ぼそりと言った冥を馬鹿にしきった顔でながめて、とうとうと猿野は語りだした。
 ヤツの語りは長ったらしかったが、要約すれば、冥が十二支に入らずに華武に入って投げていれば、先日の試合で猿野は冥から特大ホームランを奪っていただろうということ、そのホームランは青空によく映えただろうということだ。

 澄んだ青空に大きく打ち上げるのは快感だ。
 あまりバッティングに固執しないヘタレにはオレたちほどこの快感がよくわからないだろう。

「犬コロのヘタレ球を、オレも青空にかっとばしてー」

 空を見上げる猿野を見て、複雑な気分になる。冥とチームメイトな猿野がちょっと嫌になって、同時に冥と敵同士でいいだろうと自慢してやりたい気持ちが湧いてくる。
 オレは単純にボールをかっとばせばすっきりするが、猿野はヘタレとチームメイトなので、ヘタレ球を打っても手放しですっきりはできないのだ。このバカにお人よしで正直で義理堅い猿頭は、オレのように単純にはなれないらしい。

 そんな猿野に
「打てるもんなら打ってみろ、クソ猿」
 なんて言っちまう冥はつくづく団体競技に向いてねえよなと思う。
「あ? それは何だ、オレ様のバッティングがこの歌舞伎フーセン野郎に劣るとでも言いたいのか」
 ヘタレの八倍はドスの効いた声に、おお怖、と肩をすくめた。
 何とも言い返せないヘタレは目を白黒させている。アホだ。

 呆れてヘタレから目を逸らすと、猿野は空を見上げた。
 オレが冥の球をかっとばした日と同じくらい、青い空だ。

「あーあ、今日も空が高えなー」
「へえへえ、高いですねえ」

 高い、という言葉に遠い、という意味が含まれているのを、オレはコイツと同じでバッターだからわかる。
 猿野は当分、ヘタレ球を手放しで快く青空にかっとばすことはできないのだ。


「お前ら、人語しゃべれ」
 全くわかっていないらしいヘタレがガンたれてくるので、さっきガムを出してしまわずに今コイツに吐きかけてやればよかったと思った。猿野には避けられたが、こいつは鈍くさいのでもしかしたら命中したかもしれない。


「あー、帰るかー」
 ばかばかしくなってきた。わざとらしく伸びをすると、
「御柳、ガムの紙寄越せ」
 猿野がオレに向かって手を差し出す。
 ポケットを探って包み紙を渡すと、猿野はそれでさっきオレが吐き出したガムを拾った。

 ヘタレの手の中の、きちんと折りたたまれた紙パックを見ながら、こういうイイコぶってるわけでもねえのにイイコなところが、オレよりも冥の隣に居てふさわしいところだと思う。
「まー猿野君ってば優等生ねー」
 ヘラヘラしていると、ヤツは振り向きざまオレの制服のポケットに拳をねじこんだ。ガムを入れてない方のポケット。

「ツリ寄越せ」
 突きつけられた掌に、猿野が拾ったガムはオレのポケットに戻ってきたことを悟る。
 苦笑して新しいガムを渡しながら、こういうしたたかさがオレの隣に居てもふさわしいところだと思った。










「空が高いね」  2005/01/11
 『猿野と犬飼と芭唐が青春よろしくおしゃべりしているもの。たまにケンカになりそうになるけど全体的にはほのぼので』
 というリクをいただいて書きました。どこがほのぼのか。
 おおむね険悪ですいません。そして、犬があまりに不憫な子になっちゃってすいません……