そう言やオレはここ10年近く日記を書き続けている。
 正確に言うと5歳の10月17日からだ。
 きっちり毎日というわけには流石にいかないが、なまけたことはない。


 というのも書き始めたきっかけがものを忘れることへの恐怖からだったからだろう。


 記念すべき最初の日記にはこう書かれている。

『きおくそうしつになったらこわいので、にっきをかくことにした』

 何とも簡潔だが、書いたその日から、ふとこの簡潔な書き出しを見るたびに否応なしにその日のことを思い出すので、オレはあの日を忘れてしまったことがほとんどない。

 それでももしかするとこれから忘れてしまうかもしれないので、今日はこのことを思い出して書いてみようと思う。


 記憶喪失、というものが幼稚園からの帰りに話題になったことがあった。それが5歳の10月17日だ。
 誰が言い出したか、ということは小学校の頃は憶えていたような気がするが、今となっては忘れた。そういうこともあるから油断はならない。まあそれは置いておくとして、誰かが前日テレビで見たとかで記憶喪失という現象についておどろおどろしく語ったことだけは憶えている。誰が言い出したのかは思い出したらその時日記に書いておこう。

 その場にいたガキどもはこぞってその現象に怯えた。自分のことを忘れるだとか親のことを忘れるだとか、そんな想像もつかないことがおこったりするもんなのかと。そして自分に起こったらと。きおくそうしつになったらどうしよう、と半泣きになるヤツもいた。天国ではない。どうして天国ではないかというと、あいつ一人はカケラも不安がらなかったからだ。それははっきり憶えている。

『あーくんはきおくそうしつにならねえよ、なぜならいくらよーくよーく考えてみてもあーくんは自分の名前をわすれたりできないからだ。やっちゃんはどうだ、やすおって自分の名前、わすれられそうか?』

 やすお……坂上泰夫だったか、小学校3年から転校しちまって以来会ってないが、あの頃はよくつるんでいたヤツだ――の顔を覗き込んで、自信満々で天国は言い放った。そしてどうだどうだとやっちゃんに迫るので、やっちゃんは忘れられないと思うと頷くしかなかった。いや、ちゃんと書いておこう。いつ忘れるかわからねえから。

『やっちゃん、やっちゃんわすれないと思う』

 どもって主語を二回言ったのか、二回目のやっちゃんが『わすれない』にかかってるのかは不明だった、か、もしくは忘れた。とにかくやっちゃんはそう言った。
 天国はその場に居た全員に同じように言って回り、全員に『忘れない』と言わせ満足して帰っていった。
 オレも『わすれねーと思う』と言わされた。

 それでもオレは不安だった。
 家に帰ってから母親にそれを訴えると『日記になんでも書いておけば忘れても読めばいいから安心よ』とか適当に返された。母親のあの返事は今思えば本当に適当に答えただけだったのだろうが、オレにしてみれば救いの一言だった。
 ただオレは日記といっても何を書けばいいかあまり思いつけなかったので、最初の日記には一行しか綴られていないわけだ。遡って読めばわかるからいちいち書かないが、一行日記はしばらく続き、その後少しずつ増えていくようになった。言葉の発達に伴っているとも言えるだろう。


 さてそしてオレは今現在もまだ日記を書いているところで、書き続けているところだ。
 それは単にクセになったということもあるが、やっぱり忘れる恐怖は薄れることがないからだ。
 もしも明日、きれいすっぱり今日までの自分のことや家族のことや鬼ダチのことを忘れていたとしたら、そしてその後のオレが生きていくにあたりこの日記がなかったとすれば、オレはこの15年間をすっぱりなかったことにして新しく生きなおすしかないだろうからだ。それは怖いし、もったいない。非常にもったいない。


 ちょっと自分の日記をぱらぱらと読み返してみて少し嫌になってるところだが、オレの日記に天国の名前が出てこないことはほとんどない。記憶にはないが『あーくん』が『あまくに』になりそれが『天国』になった瞬間も過去の日記を辿れば出てくるだろう。


「自分のことばかり書いている日記を書く人間は作家には向かない」と言ったのは井上ひさしだったろうか。
「したこと」を書いた文章は悪くて、「見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと」を書いた文章はいい文章だと、『兎の眼』で足立先生が言っていた。多分。今度読み返して確認しよう。

 オレは素直な性質なのでこれが良いと言われたら、その良いことを心がける。別に作家になろうとは思っていないけどな。
 そんで心がけたらそりゃ天国のことが多くなった。


 天国がどーしただの天国が何をしゃべっただの毎日何かしら天国が出てくる。
 それはほぼ毎日天国とは会ってるし、会ったら無視するわけにはいかないから何かしらのアクションが発生するし、会わない日でも丸一日天国のことを全く思い出さないでいるということも滅多にないので仕方ない。こーゆー言い方は不本意だが、あいつはあれでオレ様の日常の一部なので、この登場頻度も仕方のないことだ。
 もしもオレが記憶喪失になったときにあいつのことが日記に書いていなかったらオレは困るハメになるだろう。



 ……何だか途中で面倒になってきたな。
 毎日毎日天国のことばっか書いてることに気づいて己を見直してみたが(ちなみにこうやって己を振り返るのは何度目かは記憶にないが、過去の日記を辿れば出てくるだろう)、とにかく多分オレは明日か明後日も日記を書くし、一年後もまだこの習慣を続けているだろう。
 そして天国はあつかましくもオレの日記に登場しつづけるだろう。
 何故かといえばオレは天国という人物と一緒に人生を謳歌するにあたり、15年という期間ではまだ満足していないからだ。全然足りていないし、それは一年経ったくらいでは埋まらないだろう。いつになればオレが天国に飽きるのかは不明だが、残念ながら15年で足りなかったことだけは今現在確かだ。


 もしも日記を書くのをやめて、将来日記を書くことをやめてからのことを何か「忘れた」と気づいた時、きっとオレはひどく損をした気分になるに違いない。他愛のないことでも、あいつが絡んでいる限り、こう書くのは不本意だが、それなりくだらないなりに面白かったには違いないから。




 というわけで前置きが長くなったが、今日の天国は










「15年の軌跡」  2005/01/01
最初は何となく沢松でいきたかったので。まだ春のころの日記でしょうかね。
きっとこれから『天国』の比重より『梅さん』の比重が重くなっていってまたいろいろ云々するんだと思います。
ヒマだなー沢松と思われるかもしれませんが大丈夫(←?)、私はぶっ倒れ寸前まで部活して行事やって受験勉強しながらそれでもなお一時間は日記を書く時間をキープできましたよ高校のとき! ……今では不可能ですが。