お前さ、ミスドに行ったらカフェオレたのむ?
と猿野が聞いてきたので、とりあえず長居するならたのむけど、と答えた。 そーなの? やっぱり? まじ? じゃあミスド寄ってこうぜ、と何の脈絡なんだかわからない流れで駅前のミスドに連行された。 駅前と折ると遠回りなんだよ、とぼやいてはみたが、オレ用事あんだもんと俺様に流された。 夏前ならば黙殺して帰っただろう付き合いに、犬飼は何か変なの、と何とはなしに感じた。しかし結構普通に嫌ではなく、猿野と一緒に歩く自分がいる。 それは最近、辰羅川となんとなくぎくしゃくしているのが淋しいのかもしれなくて、また、自分のせいで大敗してしまった秋大会がまだしこりとして残っているのに、何でもないように誘われたのが嬉しいのかもしれなかった。 黄色いドーナツ屋につくと、猿野は堂々と、たっぷりの時間、何を注文するか悩みこんだ。図体でかいのがレジ前に溜まっているのは客が少なくても目立つような気がする。周りにすまないとか、居心地悪くはならないんだろうかと、真剣な猿野の横顔に感心した。羨ましい無神経さだ。 別に、こんな風でいいと思うのだ。誰しも。自分も。 特別店内がごった返しているわけでもないし、ひやかしで見ているだけなのでもない。これからここでドーナツを食べるのだから、ドーナツに対して真剣になるのに何をはばかることがあろう。 それでも、エプロンの前に両手をそろえて注文を待つ店員に気まずくなってしまう。自分は小心だと思った。 新商品のカラフルなドーナツを見つめてうなっていた猿野は結局諦めて(おそらく値段のわりにボリュームがなかったからと思われる)、ポン・デ・リングのゴマとハニーチュロとチョコファッションとカレーパンと水を注文し、犬飼は少し被ったな、と思いながら、エンゼルフレンチとカスタードクリームとハニーチュロと、そしてカフェオレを頼んだ。 奥の方に4人がけの席が空いていたのでそっちに行こうとしたが、猿野は窓際の2人席にトレーを置いてしまった。窮屈なのは好かないので、不満げに「おい」と声をかけたら、「あっち、喫煙」と返され、なるほどと納得して猿野の選んだ席に行く。 猿野はどうだか知らないが、自分はタバコの煙は嫌いなので、狭くても禁煙席の方がよかった。 猿野が壁側の席に座ったので、通路側に立つ。 「ン」 と猿野が両手を差し出した。 咄嗟に自分のトレーを渡してしまい、「違うっつの」と笑われる。笑いながらトレーをテーブルに置いた猿のはもう一度手を差し出し、 「荷物」 と言った。 「にもつ?」 「荷物。こっち置いてやるから。そっち置くと蹴飛ばされるだろ」 ン、と更に手を伸ばした猿野は、犬飼の手からスポーツバッグを優しくもぎ取った。 手際よく壁側に荷物を並べ、ショルダー部分が床につかないように丸めて上に乗せたりなんかする猿野を見ながら、犬飼は自分のどこかが、じわっ、もしくはモヤっ、としたような気がした。 こいつが今自分と居て、当たり前にやさしくしたりなんかするのが気持ち悪いと思う。 気持ち悪いけれど、まるで自然なことなようにも思う。 それが猿野のいいところで、犬飼にとって気にくわないアンバランスなところだ。 嫌われていないのがわかる。好かれているのかどうかはよくわからない。きっとよく観察していれば、誰にだって当たり前にやさしすぎる猿野の姿を見られるんだろう。 ドーナツにかじりつきながら、とりとめもなくいろいろな話をする。 こないだヒゲがさ、とか、そっち数学どこまでいった、とか、世界史の山センそっちでもこのギャグ言ってた? とか。 化学の時間、ピペットはどれくらい吸ったら液体が上まで来るのか果敢に試したという猿野の話に、実を言うとこっそりオレも試した、と言いたくて仕方なくなり、言おうとしたところで、果敢に挑みすぎてちょっと酢酸飲んだというところまで猿野が喋ったので、そこまでおいしい結果にならなかった犬飼はなぜか悔しくなり、お前それはお約束だ、年に一人は絶対誰かがやるだろうがやっぱりお前がやったのかと鼻で笑った。 いいじゃねえか、ところで聞きたいか、酢酸オルセインの味。別にききたくねえよくだらねえほんとにお前は馬鹿だな。 あっという間にドーナツは食い尽くされて、手際の良い猿野によってゴミはまとめられ、トレイも重ねられる。狭いテーブルだが、肘をつくくらいのスペースが確保され、自然と前に乗り出して喋る形になる。 クラスメイトあたりにはごく無口だと思われているふしのある犬飼だったが、対等の相手として絡んでくる相手とは普通に話すし軽口も叩く。クラスメイトがよくしゃべる犬飼を知らないのは、教室における犬飼がほぼ寝ているからだ。 猿野が相手だと格段に舌が滑らかだなと自覚している。チームメイトの間にあれば何を話していても誰かがつっこんでくれて漫才が成立するのが楽しいし、二人でいても猿野は強引に話をどこかへ繋げてくれる。 ロマンティストの古典教師が源氏物語について熱く語ったことに対して授業中心の中で展開したツッコミを披露している最中で、猿野が妙に優しい顔をしてすっと体を引いたので、あれ、喋りすぎたか、と犬飼は焦った。腹のあたりがひんやりする。くだらない話を聞かされてうんざりしたのだろうか。くだらねーよと反論することもしないほど不快だったろうかと。 ところが猿野は、通りかかった店員にカフェオレのおかわりを合図しただけだった。 店員はすぐやってきて、黄色いカップに湯気のたつカフェオレを注いでくれる。 「お砂糖はご利用になりますか?」 「あ、二つお願いします」 無言で頷いた犬飼にかぶせるように、猿野が言った。 驚いて目を見張った犬飼に、猿野は何でもないように言った。 「お前、さっきも二つ入れたじゃん。甘党」 それ以降は店員も心得て、おかわりのたびに二つ砂糖と置いていってくれるようになった。 今まで自分から二つ欲しいと言えたためしがなく、また席を立って自分で砂糖を取りに行くのもめんどうだった犬飼は、はじめて最初から最後まで自分好みのカフェオレをミスドで飲み続けることができた。 猿野がもたらした、ささやかな快適に、犬飼はまた、モヤっとした。 |
「やさしすぎて」08/11/03 エスコートしなれている猿野(笑) というよりは、「自分のことを自分でやるついでに他人のこともできる」だけなんですが、犬飼さんから見たらけっこうまぶしかろうなと。 |