「ああっっちいー」
 朝っぱらからミンミンと景気よくセミががなりたてる並木の下を、天国と健吾は並んで歩いていた。
 首にはオレンジのリボンで、ラジオ体操のカードがぶら下げられている。
 あと二週間ほどで、早朝ラジオ体操に出かけるなど最後であろう、小学校六年の夏だった。

 たまたま昨晩天国は母親と喧嘩をし、ラジオ体操の帰りにオフクロが仕事に行くまで家には帰りたくない、とゴネた。
 そんじゃあラジオ体操のポイントもそこそこ溜まったことだし朝マックでもするか、と健吾は軽く天国の肩を叩いて、近所にある朝5時開店のマクドナルドまで歩いて行った。
 町内会で配られるラジオ体操カードにはマクドナルドのフライドポテトが無料になるクーポンがついており、それが使いたいがために、地区の小学生は毎朝ラジオ体操に来るようなものだった。
 それぞれ、いつでも小銭はそれなりに持ち歩いているので、クーポンでポテトを頼み、その他にマックシェイクを頼む。天国はストロベリーを、健吾はチョコレートを頼んだ。充分ではないが、家に帰って朝食にありつくまではこれくらいでなんとか胃はもつだろう。
 暇を持て余していた店員はこんな時間にしては小さい客に戸惑う様子を見せたが、ラジオ体操カードのクーポンを差し出すと、ああなるほどといった顔で少し笑い、普通の客に接するようにフライドポテトとマックシェイクを出してくれた。
 朝の軽い運動と散歩後の少年たちはあっという間にそれらを平らげて、黄色と白と赤の縞のストローを噛み締めながら、クーラーの効いた店内で時間を潰そうと努力したが、男二人で食べるものもなくじっとしていられるわけもなく、わりとすぐに店を後にした。

 そして、だらだらと、なるべく時間がかかるように家への道を辿っていたのである。

「まだ八時前だろーが、何でセミは鳴くんだよお」
「つーか、八時前なのに何でこんな暑いんだちくしょう」
 それぞれ、セミと天気に文句を言い、それなりに大きく日陰を作っている木の下にベンチを見つけてなんとなく座る。
 安っぽい厚紙で作られたラジオ体操カードをうちわ代わりにぱたぱたと振ってみるが、汗ばんだ指先でつまんだところから紙が弱っていくようで、涼しくなるだけの風はこなかった。
 それでも大人しく座っていれば時折、アスファルトの粉塵の匂いを含んだ風がさっと吹いて、涼しくならないわけでもなかった。
「あちーなー」
 暑いと何度言ったところで何が変わるわけでもない、というのはもうわかっていたが、それでも健吾はぼやかずにいられなかった。
「天国、ソレ無駄。ラジオ体操カードじゃ涼はとれねー」
 なおも一生懸命カードで自分を扇いでいる天国に声をかける。
 天国はむ、とした顔で扇ぐのをやめ、なんとなくカードをひっくり返してそこに印刷されているカレンダーと、きっちりと今までの日付全てに押された赤い判子を眺めた。
 なんとなく隣からそれを覗き込んで、何でオレら皆勤賞なんだろうな、と健吾が呟いた。
 校則破り常習、ちょっぴり不良要素を含んだ悪ガキとして見られていた二人が、夏休みにわざわざ朝六時に起きて六時半からのラジオ体操に参加していたのかと思うとどこか変な気がする。

 時計を持ち歩くのは校則違反だったので(というか時計を持ち歩くような習慣はまだ持ち合わせていなかったので)、二人は時間がわからなかった。
 けれども、住宅地は朝の音を立て始めて、そろそろ八時前くらいだろう、と思う。
 ベンチの前にある家ではテレビをつけたのだろう、何かのニュースのような音が聞こえてきていた。
「あとどんくらいで帰れるかなー、どうよ天国」
「もう少しテレビの音聴いてたらわかんじゃねーかな」

 答えた天国の目はまだカードを見つめたままで、健吾は何か変わったことでもあるんだろうか、と自分のカードをひっくり返した。
 ……何も変わったところがあるようではない。さっきのぞいた天国のカードもそうだ。

「なあ、なんか」
「今日、八月十五日だ」
 なんかあんのか、と問おうとしたら、天国がぽつりとそう言った。

 八月十五日。なんだっけ。

 健吾は少し首を捻った。その耳に、目の前の家の窓からテレビのアナウンサーの声だろう、が入ってくる。
「……今日、八月十五日、太平洋戦争終戦の日、各地で平和を祈る式典が行われる予定……」

 ああ、と思う。
「戦争が終わった日、かあ」
「うん」

 天国が頷いて、カードから目を上げた。
「何年前なんだっけ、戦争終わったの」
「さー、何年か前に終戦50年ーとか言ってた気はするけど、わかんね」
「わかんねーよな。50年とか、51年とか、55年とか」
「何年でも変わりねーんじゃん、毎年同じことやってんだから」

 オレらコドモだしさ、と健吾が言って、天国もうーんと唸りながら、結局頷く。
「でも、50年以上、終戦何年目、終戦何年目って、数えてきてんだよな。大人は」
「うん」

 二人にとって、戦争なんてものはなんとなく聞きかじった昔の話に過ぎなかった。
 自分の祖父母から時に当時のことを聞かされることもあったが、年寄りの話を聞いても実感が湧いたことなど一度もない。
 とてつもない大事件だったのだということは、なんとなくは理解していたけれども。

「お前、『はだしのゲン』憶えてる?」
 ぐるぐると戦争、をキーワードに少し考えた後、天国がたずねた。
「もち、憶えてんよ。1、2巻のへんだけだけどな」
 そういえば、あった。戦争がおっかないことを理解したことが。
 小学校の図書館にあった数少ないマンガで、大抵の生徒は手にしたことがあった。
 ただ、原爆に皮膚を熔かされた人々の絵があまりに気持ち悪くて、途中で読むのをやめてしまう生徒が大半だった。女子は特に。
 健吾は1、2巻のインパクトの強さに押されるように5巻くらいまでは読んだのだが、その後は何だか話がこ難しいうえにいつまでも救われない話なのでそこで読むのをやめてしまった。
 天国はどうやら全巻読んだらしかったが、あまりそのマンガについて話した憶えはない。

「あーゆーのが、50年以上前にあったんだよなあ」
「ピカドン〜とかショウイダン〜とか?」
「広島のは……何日だっけ……八月………………六? 八? 九?」
「………………わからん」

 お手上げ、というように健吾は溜息をついて、またラジオ体操カードのカレンダーを見た。
 そのカレンダーには日付があるだけで何も書いていない。いや、海の日、は書いてあった。
 じゃあどうして、終戦の日、は書かれていないのだろう。ヒロシマの日も、ナガサキの日も。

「オレ何にも知らないで過ごしたわ。ヒロシマの日とか」
「何十年もなんかいろいろやってんのに、大事じゃねえのかなあ」
「大事なんだろーなーとは思うんだけどな、オレみたいなんでも一応さ」

 一応さ、と言う天国の横顔を、少し大人びたな、と思って健吾は見つめた。
 来春には、二人は制服を着て、中学生になる。

「50何年か前に戦争終わったときも、こんなに暑かったんかな」
 天国が朝のわりにやけにすっきりと青い空を見上げて呟いた。
「さあ……温暖化始まってなかったから今ほどじゃないかもしんねーし……あ、でも日陰とかなさそうだよな。空襲で焼け野原ーとか」
「……あつかったかな」

 あつい、というその言葉で少し、50と何年か前の夏が近づいた気がした。
 今日という日は暑くあるべきなのかもしれない。


「あ、おはよう日本終わった」
 アナウンサーの失礼致します、という声が流れてきて、少し気の抜けた声を天国が出した。
 続けて、NHKの番組のCMが始まる。今日は終戦にちなんだ特集があるのだろう。重々しいBGMが耳を突いた。

「じゃ、そろそろ帰るか?」
 健吾が問うて、天国は頷く。
 それから天国は立ち上がって、まだベンチに座っている健吾を見下ろして言った。

「オレ、今日テレビ見るわ」

 ……いつだって見てんだろ、というツッコミはしないでやった。

「せんそーモノの番組、見てみる」

 コドモだから知らねー、と言ってられることではないのは知っていたのだ。
 ただ、今までさぼっていた。
 ラジオ体操さえしていれば平和なんだと思っていた。

 そうでもないことに、そろそろ気づいている。
 なんの根拠もないが。

「……オレも一緒に見るかな」

 言って、健吾も立ち上がる。
 気が向いたのだから、知らないで居たことを知ろうと思う。
 その先にあるものは知らないが。寝て食ってラジオ体操するだけの時代は、自分の中で終わりにしようと思う。

 そう思うのは、本当に、本当に、何となくだが。

 それを成長というのだということに気づくのは、当分先のこと。
 そして、随分遅い成長だったと自嘲するのも当分先のこと。


「あ、帰る前に、黙とうしてこうぜ」
「あの、目ぇつぶるやつ?」
「うん」

 終戦の日に、黙祷をする、という決まりのようなあることを思い出して、天国が提案した。

「じゃあ、えーっと終戦でえーっと」
 何といえばいいのかわからず、健吾はがりがりと頭をかいた。
「あー、犠牲者の……何だ? 冥福?」
 天国も同じようにがりがりと頭をかく。

 無知な自分たちを、その時はっきりと、恥ずかしいと思った。


「な、なんでもいいや、とにかく、一分間黙とう!」
「……一分ってどのくらいだ?」
「ッ、も・く・と・う!」

 健吾が首を傾げるのに、天国は怒ったように言って、ぎゅっと目を瞑った。
 しょうがねえなと思いながら健吾も目を瞑り、ぼんやりと少しのことをいろいろ考えた。


 なんつーか、戦争とかもうおこりませんように。


 そんな風に心に呟いてみたりして、二人はしばらく、朝の生活に追われ始めた住宅街の真ん中で、アスファルトの粉塵の匂いのする風に吹かれながら、終戦の日の黙祷をささげていた。










「八月十五日」  2004/08/15
何というか、眠れなくて、一気書いてみました。終戦にちなんだものを書きたいなあと思って、でもこの日は甲子園真っ最中で高校生設定では無理だな、てことで小学生の猿野と沢松。メッセージ性の少しでもあるものを書きたかったけれど、大失敗です。やっぱり時間をかけないとこういうのはダメですね。
犬飼と辰羅川と御柳とかにしておけばまだ辰羅川にいろいろしゃべらせたりできたかも。来年チャレンジかな。忘れてなければ。

追記 : 2004/12/08
再録を、とのご要望を頂きましたので、八月限定のところを再録させていただきました。
書き直そう書き直そうと思ったのですがどうにもできず……そういえば「未熟さ」がこの話のテーマなんだと思い返しまして、私自身の未熟さもそのまま曝そう、ということで修正ナシです。……すいません。

また追記 : 2005/11/09
猿野家母子家庭ということで、父親→母親にこそっと変更。