授業や質問にパターンがあると教師イジメにあいやすい。
もとい、教師イジメをやりやすい。 「今日は十二月八日だなー。1+2+7は10ー。てわけで男子十番。猿野ー」 「へーい」 いかにもやる気のなさそうな声で、天国は顔を上げる。何を訊かれるかは予想済みだ。 「今日は何の日だー?」 ついでに今は社会科歴史の時間なので、どういう答えを期待されているかも予想済みだ。 「ジョン・レノンの命日ー」 「来ると思ったぜー」 まだ若い教師は嬉しそうに笑って、天国の机の前まで歩いてきた。 「俺もビートルズ好きでよー、今日になるとちょっと切なくなるんだよな。でも十二月八日はジョン・レノンの命日ってだけじゃないぞー。他に知ってるか、猿野?」 その瞬間、彼は罠に完璧にはまった。 天国は真顔で若い社会科教師を見上げると、すらすらと口を開いた。 「えー、まずお釈迦さんが悟りを開いた日だろ、成道会」 「シブいこと知ってるなー猿野、他には?」 「それから日本初の日本語の日刊新聞が創刊した日だろ」 「え、マジか? 知らなかった」 「センセー、コレも歴史だと思うんだけどー」 「う。そ、うだな……」 「明治大の創立記念日も今日だよなー」 「…………」 「津田塾の創始者の津田梅子っておばちゃんの誕生日も今日だろ、あついでに堀江奈々の誕生日も今日だ☆」 若い教師は、しばらく絶句した。 それから、疲れ果てた声で言った。 「お前、狙ってネタ仕込んできたな?」 肩を落として教壇に戻り、誰か他の―――教師イジメなんかしない良い子を指そうと教室を見渡す。 その時、天国の淡々と、そして凛とした声が教室に響いた。 「1941年12月8日。日本軍がイギリス領マレー半島東海岸コタバルへの上陸を開始。ハワイ・オワフ島真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲し成功。同日日本はアメリカ・イギリスに対し宣戦布告」 今度こそ本当に絶句した教師の目をまっすぐ見て、天国は閉じたままの資料集・ノート・教科書をきれいに机に積み上げたその上に右手を置いて、やはり淡々と訊ねた。 「太平洋戦争開戦記念日。いったい何の日だったわけ?」 放課後、天国は健吾と一緒に職員室に呼ばれていた。 可哀相なことに、例の教師は次の時間隣のクラスでうっかりと同じ質問を出席番号10番の男子にし、気づけばそれが見事に健吾だった。猿野と沢松だから、揃って10番だったわけだ。 ちなみに沢松は最初はやっぱりレノンズデーで、他は、御事納め・針供養・力道山が赤坂で暴力団員に刺された日・もんじゅのナトリウム漏れ事故発生・改正「少年法」公布の日、と別ネタで攻めた。 そして天国と同じようにシメて、同じことを訊いた。 教師はその問いに答えることができず、流すことも切り替えることもできず、その日の授業をおシャカにした。 天国の手も健吾の手も、きちんと閉じた教科書の上に置かれていて(普段は教科書なんぞ言うまで出さない連中がだ)、それは教科書や資料集に書いてあるような答えでは納得しないというサインなのだと、自分の無能を噛み締めつつ若い教師は理解した。 だからこそ今日は授業ができなかったわけだが。 「あんな高等な教師イジメははじめてだ」 紙コップに緑茶を入れて二人に手渡すと、教師は自分の席にどかりと座り、二人も適当に座るように促した。 天国と健吾は、そこらから不在の教師の椅子を引き寄せて座り、味の薄い緑茶をすすって、にやりと顔を見合わせた。 「まー、いい勉強さしてもらったと思うことにする」 苦い顔で二人の顔を睨んで、教師はデスクに肘をついた。 「でもな、お前ら、何でわざわざ俺に訊いたんだ? かなり調べたりしてきてんだろ?」 歴史好きの生徒が、教師でもわからないほどマニアックな知識をもってして教師の気を引こうとしたり、授業をかきまわそうとすることはよくある。しかし天国も健吾もそういうタイプではないし(時々「織田信長はホモでショタコンってほんとーですかせんせー!」なんて野次を飛ばすことはあったが)、授業の先回りをしてクラスに自分の知識をひけらかすようなタイプでもない。今日の問いかけは、イジメ半分ではあったが、至極真面目なものだった。 「わかんなかったから」 もう充分に冷めた緑茶をぐっと飲み干して、天国はつっけんどんに言った。 「調べたけど、テレビ見たりビデオ見たり本読んだりしたけど、わかんなかったから」 「オレとコイツと、二人でいろいろ考えもしたけど、やっぱわかんなかったんスよ。だから、せんせーに訊こうかってなって」 こちらはちみちみと緑茶を飲みながら、健吾が後をついだ。 「『せんせー』に訊けば、わかるかもしんないと思った?」 若い教師は肘をデスクについたまま訊いた。 二人の生徒は揃って首を縦に振った。 「ガキ」 思わず教師の本音が出た。多分、出してはいけなかった本音が。 「はぁ!? 何だよソレ!」 行儀悪く紙コップを咥えたまま、天国が荒々しく言い返す。 「なんすかせんせー?」 まだちみちみとお茶を飲みながら、健吾も一応抗議の声を上げる。 「あ、いやすまん」 教師は素直に謝って、どう答えたものかと本気で考えた。 この若くて中学教師になるくらいしか能のなかった(というと心血注いで教師をやっている方々には失礼にあたるが)男は、多分ことのとき初めて、生徒のためにどう応えたらいいのかということを考えた。 この二人は厄介だし、本気になったらしつこい。こちらが大人ぶってかわすこともできないではないが、かわしきれないだろう。”かわす”ことは完璧でなければ、かわされた方がもやもやするだけだ。 かといって、彼にとって二人の満足のいくように答えてやることは不可能だった。 わからないことは「せんせーに訊けばわかる」とまだ可愛らしいことを思ってくれている少年たちには申し訳ないが、ここは自分が恥をかくことも前提として真実を告げるべきだ、という結論に達する。 自分が恥をかいても、なんて思考も多分初めてだ。 「あのな、猿野、沢松」 「うい?」 「はい?」 教師はデスクから肘をはずして、椅子の背もたれに寄りかかりながら少年たちの方を向いた。 「ぶっちゃけな、この問題に関しちゃ、俺よりもお前らの方がちゃんと知っててわかってると思う」 「えー何で! だって先生じゃん」 「……つうかそんなこと言っていいんすか先生」 背もたれをギコギコ鳴らしていた天国はがばりと身を起こし、まだちみちみとやっていた健吾は紙コップを膝の上に置いた。 そんな反応を可愛いと思いながら、男教師は頷く。 「俺な、大学んときの専門は経済だったんだよ。だから歴史のことはあんまり知らね。地理もな。中坊に教えるにはこの程度でいいですってくらいの知識しかねーの」 「中坊の程度って……」 言いかけたが、それを今目の前の教師に言っても仕方ないことに気づいて、天国は途中でやめた。 これは文部科学省だかいうお役所に言うことだ。多分。 「だから、すまねえ。今俺を頼っても、何も出ねえよ。お前ら二人がやってきたもの以上のものは」 正直に言いながら、自分でショックを受けていた。これでも教師か自分はというショックを。 「自分で続けろ。わかんねーことは、わかるまで自分の力で調べな。大人に頼って横着しようとかしねえで」 それが、若くて無能な彼には精一杯で誠実な返答だった。 なんとも平凡に、カラスがカアと鳴いた。 十二月になっても関東地方はまだ本格的に寒くはならないが、日が落ちるのだけは季節に則って早くなる。 放課後クラスメイトとちょっとだべっているだけで、帰る頃にはすっかり夕焼けか、真っ暗かだ。 「まだ調べなきゃわかんねーのかよー」 石ころを蹴飛ばしながら、天国は口を尖らせた。 半端に転がった石ころに足を速めて追いつき、更に遠くへ蹴り飛ばしながら、健吾も口を尖らせた。 「まだまだらしーなークソ!」 ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていたのかとか、日本が米英を相手に開戦に踏み切ったのはアメリカの誘導にうっかり乗っちまっただけなんじゃないのかとか、そりゃ日本は悪いけどアメリカは正義かっつったら絶対そうじゃねーよなとか、多分、延々と繰り返されてきた議論と疑問なんだろうと思う。 自分たちも二人で延々と議論を繰り返した。リメンバーパールハーバーって、パールハーバーがどこにあんのか知ってるアメリカ人当時何%いたんだよとか、日本を開戦に追い込んだのはそもそもアメリカだっつーのとか。いやその前に日本は東アジアのあちこちに何遍土下座して謝っても謝りきれないよーなことをやってたわけだけれども。とか。何で日本の政府は土下座しねーんだきっちり謝るところは謝った方がこの先仲良くできるじゃんとか。 それを、大人にぶつけてみたかった。ぶつけてみようとしたら、ぶつけても無駄だと言われた。 なんだか、どっと、虚しくなった。 「……疲れたな」 「うん」 「……めんどいな」 「うん」 「…………でも納得いかねーよな」 「……うん」 健吾が呟いて、天国が頷いた。 「あ、今日こっちじゃねーじゃん、ツタヤ寄るぞ」 渡りかけた信号を、慌てて引き返す。一歩前を進んでいた天国の腕もきつくひっつかんで引き戻した。 「はあ? ツタヤ? 寄んの?」 「おう」 「先に言えよなー……」 「悪りぃ」 「で、一緒に見るのかよ」 「モチ」 「何借りんだ」 「メリケンでヒットしたいかにもメリケンらしい映画」 「はい?」 「『パールハーバー』」 「……ってあのパールハーバーと名乗らせておくのが恥ずかしいただの恋愛モノと名高いアレ?」 「そう。何か三角関係らっしーなー」 「ちょっと止めてよしてそれはないわ〜。ただでさえ疲れてんのにさらにゲッソリきそう……」 「だからこそだって。限界までゲッソリしようぜ。んで全力でツッコミ入れようぜ」 「う〜…………そうだな、ツッコミか、どこまでツッコめるかやってみっか」 「そうそう」 「……オレらってちょっとマゾくね?」 「何を今更」 ぼそりと呟いた天国に、健吾は軽やかにそう答えた。 「そのうち、玉山登ろうぜ」 「何で登山だよ!」 ひとまず、天国はケリで突っ込んだ。 そのころ、例の若い社会科教師は、職員室の電話からが学校御用達の書店に電話をかけていた。 「もしもし、宝字堂書店さんですか、いつもお世話になっております……ええ、はい、いえ、生徒用の資料ではなくてですね、専門者向けのものなど……ええ、ありますでしょうか、あ、はい、よろしくお願いしますー、ええ、ではこれから伺いますので。はい、はい、よろしくどうぞー」 「珍しいね芝田先生、本屋さん行くの?」 同僚に声をかけられて、照れくさそうに彼は頷いた。 「ちょっと、勉強しなくちゃなんて思いまして」 |
「十二月八日」 2004/12/08 ちょこっと成長編ということで。真珠湾攻撃やらその周辺のことにまで突っ込んでいくとキリがないのでそこは端折りました(爆)。 いつか、ちゃんと書きたいですけれども。でも中学二年生にはまだ無理かな、って。そこそこ議論できるくらいには調べこんであるとは思うんですけど二人とも。でもシンプル&リアルを重視したらこの程度になりました。 それから、この教師のように子どもを失望させる大人にはなりたくないという自戒の思いを込めて書きました。 映画『パールハーバー』は、ギャグ込のどーしょーもない恋愛映画です(キッパリ)。そう思えば面白い。 あ、ちなみに「玉山」というのは新高山のことです。その他の部分でピンと来ないところが多いという方は、勉強してください。 |