『ピッチャーゴロ』




 猿野は、ピッチャーゴロが好きだ。
 もちろんピッチャーゴロを打つのが好きなのではない。
 自分が三塁にいて、犬飼の背中を見ている時にピッチャーゴロが出るのが好きなのだ。
 犬飼が長い足を大きく踏み込んで捕球し、一塁の虎鉄に向かって鋭く送球する。
 その送球の鋭さが、どうしようもなく見ていて気持ちいいし、突っ立った銀髪の間からいつもは見えない左の耳が見えたり、する。
 打者は必死になって走るけれども、その足をあざ笑うかのように犬飼の左手から放たれた白球はぐいぐいと伸びて、三塁に居る自分にも聞こえるような気になるほどいい音を立てて一塁に届く。もしかしたらその音は聞こえているのかもしれないし、聞こえていないのかもしれない。ただ、見ているだけで音は猿野の耳に確かに響く。

 そういう場面は滅多にないけれども、一塁にランナーを背負ってのピッチャーゴロはもっと好きだ。
 一塁にランナーがいて、ゲッツーコースの絶好のピッチャーゴロが来ると、犬飼は一秒でも早く捕球するために少しの距離を走り、くるりと振り向き様二塁でグローブを構える司馬に送球する。
 自分の真後ろにある塁に投げるというのに、犬飼の動きには一瞬も無駄や迷いがなくて、あの単純な頭の中にも、マウンドと塁の距離やら角度やら、そこから自分が動いたときに変化する距離やら角度やら、複雑なことがぎっしりしまっているのだと思う。いや、頭の中ではなくてもしかしたら筋肉の中に詰まっているのかもしれないが。
 振り返った犬飼の黒い横顔が三塁からは見える。左目の下の泣きぼくろも視力のいい猿野からははっきり見えて、司馬に向かって送球する犬飼の表情はいつもの独りよがりなピッチャーの顔ではなく、仲間を頼る真っ直ぐな目をしている。
 司馬はその目に応えてきっちりと捕球し、素早く、しかし悠々と一塁に球を放る。犬飼の対応と送球が速いから、司馬は急がないでただ確実に虎鉄にボールを投げればいい。

 さらに滅多になくて、しかもチームとしてよろしくない場面だけれども、一、二塁にランナーを背負っていたり、三塁にランナーがいたり、一、三塁にランナーがいたりする時のピッチャーゴロはもっと好きだ。
 その時のランナーの足の速さやリードの具合によるが、いつもは背中しか見えない犬飼が、右手で掴んだボールを左手に持ち替えながら、三塁に向かってあの左腕で投げてくる。守備の間はずっと見られないいけすかない顔がすっかり見える。
 真摯な目と、真っ直ぐで、胸元に飛び込んでくる送球。よほど余裕のないときでないかぎり、構えるだけでグラブの中心にバシンと音を立てて収まる。その衝撃は左手だけでなくて、上半身全体に伝わる。
 後は任せた、というメッセージがその衝撃にあるような気がしてならなくなる。犬飼からそんなもん受け取ってたまるか、と普段なら思うのだろうけれども、試合中はその衝撃に任せろ、という想いが膨らんでくるから、不思議だと思うし後から思い返せば気味が悪くもなる。
 まだまだ猿野を素人扱いする辰羅川が大声で指示を出し、猿野は三塁を踏んでから司馬へ、もしくは虎鉄へ任せた、という気持ちを込めて送球したり、リードしすぎた三塁ランナーの背中に飛びついたり、辰羅川と一緒に飛び出したランナーを挟み込んで追い詰めたりする。状況によっては犬飼がカバーのために駆け寄ってきたりして、コゲ犬にカバーなんぞされてたまるかと思いつつ背中に安心感を憶えたりする。


 認めたくはないが、犬飼の関わる野球が自分はとても好きなのだろうと、練習試合の帰りになんとなくコーヒー牛乳を買いながら、一人猿野は苦笑した。










「ピッチャーゴロ」  2004/08/09
甲子園の試合を見ながら、すごい勢いで書きました。DLFは終了してます。