つまりは疲れたんだろ。犬に。
 そう思いつつ、疲れてる人間に疲れてることを指摘するとさらに疲労してしまうものなので黙っておく。
 犬飼のために頑張ってきた気持ちが、疲れてしまっているんだな。
 肩を落として、据わった目でテーブルを睨んでいる姿は、辰羅川らしくなかった。
 メガネの艶も冴えないんじゃないかな、と冗談のように思う。


 たっつんも、こんなに思いつめないほうがいいのに。

 今のこいつは、犬飼について今以上に頑張る、ことはできないだろう。そういう部分を認められないでいても。
 常に前進していて当たり前のオレらにしてみたら、もう頑張れない、なんてひっくり返っても出てこないし出せない発想だ。
 たっつんは疲れた自分の何がダメなんだろうと悩んでいて、しかしダメな部分なんてないもんだから混乱している。
 自分がダメでないなら、ダメなのは犬飼、という公式はまあ、オレとかでもすぐ考えるな。

 でもなあ。
 たっつんが犬飼のことをダメ、と言うのは、よくぞ言った、という気持ちもあるけど、お前は言っちゃダメだろというのもある。
 だって、こいつの言葉はあいつにとって、懸念ではなくて断定のようだ。
 オレにはそう聴こえる。
 たっつんがダメだって言うと、ほんとにあいつってダメに思える。

 そういう関係なのがいけねえのかな、お前ら。
 そんな二人をなんとかしてやりたい、とオレは思う。


 犬飼と辰羅川という二人の距離は別に今のままでいいと思うが(「相対的」の反対の意味の「絶対的」な距離は、だ。相対的には多少変わるべきだろう)、やっぱり犬飼は野球抜きにして他人に友好的な気持ちを抱くのができないでいるのは確かで、野球は切り離せないながらも、野球抜きでもこの先長いこと友情が続くのは犬飼にとって多分辰羅川だけだろう。
 そういうべったり感。そこから来る、全面的で、しかも無自覚の依存。


 辰羅川の変化は好ましいものだ。
 だとすれば、前の、犬飼に違和感やストレスや疲労を感じない彼に戻ればいい、とは思えない。
 ならば犬飼を変えちまえばいいんだろ。
 こうなればいい、とかいう具体的なイメージは湧かないし、他人をこんな風に変えよう、だなんておこがましいから考えたりしないが、とりあえず犬飼の目がたっつん以外の人間にも向くようにするのは悪くないんじゃないかな。
 うん。


「まあ、さあ、あんま思いつめんなよ」
「………………ええ……」
「犬もさ、ちょっとずつ成長はすると思うし」
「…………そうですよね」
「それにさ、たっつんあいつのこと好きだろ」

 今はいいけど、あんま悪く言ってやるなよー。
 たっつんはびっくりしたようだった。びっくりというか、きょとん、とした顔でしばらくオレを見て、それからちょっと笑った。

「そうですね」
「うん」
「ありがとう猿野君」
「おうっ」
 くすくす笑って。いつものモミーに戻ってゆく。
「あなたのことも好きですよ」


 そりゃどーも。
 犬の友だちは今のところたっつんだけだが、たっつんの友だちはもう犬だけじゃない。

 そ。それでいいんだぜ。



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