野球選手というのは、基本的に陽性な人々だ。
散々いじくられて、犬飼も随分丸くなった。 高校時代でかなり角は削ってやったとは思っていたが、やはり年上のテダレと言うのは違うなあ、と猿野は感心していた。 「だってよお、あのワンコが! もじもじとか恥らうとかはにかむとか高等技覚えやがって!」 腹の皮がよじれて千切れそうなほど、派手に笑い転げながらぎっちりとホールドをかけてくる猿野に、犬飼は数週間ぶりの殺気を感じた。もちろん自分の。 テレビには先週、犬飼が完投とノーヒットノーランを達成したゲーム、の、ヒーローインタビュー。 お立ち台の上でマイクをつきつけられてもじもじと赤面するガングロジュノンボーイ(まだ未成年だもん)がアップで映っている。 ご丁寧に録画なんかしてくれた猿野は、それはもう、犬飼と一緒にこの場面を見るのが楽しみだったらしい。 放せやめろ笑うな消せ! とむちゃくちゃに暴れながら叫んでみるが、猿野のバカ力は健在で、リモコンにもテレビにも手が届かない。 腕一本の相手に身動き取れなくなっている自分は本当にプロスポーツ選手なのかと問いたい。 いくら猿野とはいえ、ばっちり障害者手帳だって持ってる文科系大学生だ。 「暴れんなって、ほら、ここ! ここが最高なんだよ!」 意地でも見るもんかと目を逸らすが、首が回らない。逸らすんじゃなくて閉じるべきだった、目に入ってしまった。 画面の中で頬を染めながら精一杯笑顔を作ろうとして失敗し、でも結局嬉しいので笑いそうになって頬がひきつり、誰かに踏まれたみたいな変な顔をして「と、とりあえず……」とか言っている。犬飼冥、18歳。もうすぐ19歳。 死んでしまいたい。 奇声を上げながら悶える犬飼を押さえつけたまま、猿野は足で器用にリモコンを探り、あろうことか巻き戻し、再生。 「ぐはああああああああああああ!」 「見ろってー! ぎゃはははははははは!」 もう猿野を振り払おうとしてたことも忘れて両手で顔を覆ってしまう。 死ぬ。死んでしまう。 もうやめてくれと懇願するのに、猿野は悪魔のごとく楽しそうに巻き戻しと再生を繰り返し、悶えのたうつ犬飼のこめかみに拳を捻じ込み、頭を掴んで振り回し(本人は髪の毛を掻き回したつもりだっただろう)、顔を覆う手を掴んで捻り上げ(投手の手首を!)、勘弁してくださいと涙ぐんだ犬飼が土下座するまでビデオ鑑賞を続けた。 「いやー、感動的な試合だった!」 爽やかに言いながら、猿野はコーヒーを淹れている。 片手で器用にペーパーフィルターをセットし、挽いた豆を量って、水を注ぐ。 両手の使えない男が一人で暮らしている、調理器具なんてほとんどない部屋に、不釣合いに、でも馴染んでいるシンプルなコーヒーメーカー。 お前コーヒー牛乳通なのはいいけどそんならコーヒー通にもなれ、オレんちに来たらちゃんとしたコーヒーを飲め、と夏に猿野に買わされたコーヒーメーカーだ。猿野の誕生日に自分のためのものをねだられるのは相当に照れくさかった。 元から実家に帰るよりも猿野を訪ねることの方が多かったが、コーヒーメーカーを買ってから、訪問頻度が明らかに増えた。 猿野は牛乳を入れてくれないので、ひとくちふたくち、ブラックで飲んでからいつも自分で牛乳を足してオリジナルコーヒー牛乳の味に浸る。そりゃ幸せなもんだ。 そんな回想を引き連れつつ好きな香りが部屋に広がって、それにとられそうになった気を引き戻し、犬飼はふてくされる。 笑われた。盛大に笑われた。笑うなと言うほうが無理だという自覚があるから更に嫌だ。 「テレ犬ちゃーん、そろそろご機嫌直して?」 猫なで声で猿野が呼んでくる。 直る機嫌も直すもんか。と眉間に皺を寄せる。 本当は布団にもぐりこむくらいしたかったが、それはガキくさいとまた笑われそうなのでしない。 「いーぬー」 ぺたぺたとやってきた猿野が背後に立つ。 「ホラよ」 口元に突き出されたマグカップに、しかたなく唇をつけた。 持ち手に指をかけたままの猿野の手ごとカップを支えて、ぐいと中身を口に含む。 熱いコーヒーは、やわらかくて甘かった。 「あ」 ブラックじゃない、コーヒー牛乳だ。 しかも、密かに気に入っている猿野特製のハチミツ入りコーヒー牛乳。 「ノーヒットノーラン、おめでとうな、犬飼」 そんなもの、試合当日の夜にだって電話で言ったくせに。 コレが言いたいがための前フリか? あのビデオは。 マグカップの熱が、重ねた手に移って、猿野の指も、自分の掌も、熱い。 ふんわりとハチミツが香る。 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、甘い。 |
「ハニーブレンドコーヒー牛乳」 2005/07/28 河原町さんがコーヒーメーカーにもえたってゆってくれたので書きました。 都内の猿野の一人暮らしアパートは犬飼の別荘。憩い。(笑) 私でもこんな砂吐き書けるんだなあ(驚愕)。 |