沢松と全力でじゃれつけなくなったのはいつだったろう。
 昔から猿野のほうが力は強かったけれども、それでも容赦なくどつきあえた。ずっと昔は。
 ずっと下になってしまった目線を意識するたびに、わけもなく殴りつけたくなることがある。
 欲求不満なんだろうなあと、猿野は思う。
 生きていて、それなりに大きなものに暴力をふるいたい欲求が、ある。


「お前らってさあ、欲求不満になることねえの?」
 雑誌を読みながら鉄アレイでくるくると宙に八の字をかいている犬飼に訊いてみた。
「とりあえず、お前らって誰と誰だ」
「高校球児全般」
 犬飼はふと雑誌から目を上げて、考えてみせる。
 手首はあいかわらずやわらかく、くるくると八の字を書いている。
「……球児じゃねえやつの基準をしらねえ」
 結局はあそうですか、と言いたくなるようなそんな答えしか得られず、仕方なく猿野は勝手に自らの推測を披露することにした。
「なんっつーかさあ、口で言うほど欲求不満なカンジしねえんだよな、野球部の連中って。文科系みたいにムッツリじゃない分よほど爽やかっつうか。やっぱ筋肉か? 筋肉が満足なくらい動いてりゃタマんねえのか?」
「知るか」

 じゃあお前オナニー週何回? と訊きかけて、やめた。
 性的な欲求不満の話がしたいんじゃなくて、暴力的な欲求不満の話がしたいのだ。
 したいのだが、それは直接的に口に出すのは躊躇われた。

「てめーは野球とか筋トレ以外のことに使う筋肉はないとか言いそうだよなあ」
「それで悪いのか?」

 天然よろしく首を傾げる犬飼に、あーあー、と思う。
 意味深な視線を送りながら
「オレはもうちょっと不健全なことに筋肉使えんの知ってっからなあ」
 というと、さっと犬飼の腰が引けるのがわかった。
 はは、と乾いた笑いを、声帯を震わさずにもらす。

「や、いかがわしい意味じゃなくな?」
「そ、そうなのか」
「うん」

 力というのは自覚して抑えなければいけないものだ。
 素手で加減なく人を殴ったら大怪我をさせてしまう。
 男の拳は凶器だ。


 生きているものを思いっきり殴りたい。
 と目の前の男を見ながら思う。
 自分より大きな生きているものを、思いっきり、殴りたい。

 それはもう叶わないんだと猿野は知っていて、だけれども少しだけでもその欲求を満たしたいと思う。

 思いっきり、直に、人に、触れたい。


 抱きしめる、くらいなら手加減しなくても、こいつなら壊れないだろう。
 こいつが女の子じゃなくてよかった。女の子なんか、力いっぱい抱いたら絶対に壊れてしまう。

「な、犬飼、プロレスごっこしよ」
「は?」

 了解を待たずに思い切りのしかかって抱きしめた。
 自分より大きな、生きているものに思い切り触れた。
 かたく、やわらかく、あたたかく、そのいきもの特有の匂いがして。

「なんなんだよ、てめえは」

 耳元で響く低い声に、欲求は少しだけ満たされる。
 ぎゅうぎゅうと、手加減なしに思い切り抱きしめた。
 腕の中で骨が軋むような音がして、犬飼がもがいた。

「イテ、イテエっつうのバカ猿」

 でも声は緊迫していないので、そうこいつはまだまだ壊れない。
 ああ、ほんとうに。


「てめえが、オレよりでかくてよかった」

 沢松がくれないものをくれる、自分より大きなこの生き物を、大事にしようと猿野は思った。










「身長差」  2005/07/27
※まだできてません。
抱きたいより殴りたい、って時、あります。
私は犬猿だと思うんだけど、猿犬でもいいや。