暑い暑いと雪崩れ込んだ部屋は、前回来た時、いや、前回来て、そして帰った時と同じ状態だった。
ベッドに腰掛ければちょうど手を伸ばした位置にあったローテーブルは壁際まで押しのけられて、ベッドの下には座布団が二枚並べてある。 太陽の存在がそれでもうっとおしい真っ白なうすぐもりに溶かされるようにだらけだしていた空気は、猿野が二杯目の麦茶を飲み干してガリガリと氷まで噛み砕いてるころには弛緩しきって、犬飼は一人でごろんと自分のベッドに懐いてしまう。 この部屋に他のメンツを伴わずに上がるのは何度目かな。 指折り数える。 ちょうど片手が埋まるくらい。 初めて来た時には、他人の部屋だとずっと感じさせていた、犬飼の匂いは、今ではふと感じる程度。しかも、感じても、拒絶されない。つまり他人の匂いでなくなって。 それどころか、不思議不可思議摩訶不思議なことに、まあつまりは認めたくないことに、その匂いにほんのり安堵のようなものを覚えるようになった。 ゆるゆると、そして嫌々ながら猿野は自覚していく。 自分の中の変化を一つ一つ発見している。 犬飼の声や、匂いや、並んで歩くときに寄り添ってくる影や、そんなものたちに安堵する。 そして、その安堵がうんと深くなってくると、体のどこかが痺れるのだ。どこか、指先だったり、十二指腸のあたりだったり。 その痺れが苦かったり臭かったりしたら、彼はこんなに困っていない。 そうじゃないので、不快じゃないので、困っている。 犬飼はベッドの上でカラカラと飲み終わったコーヒー牛乳の氷を鳴らしながら、ジャンプを読んでいる。 家主に倣えとばかりに、二枚並んだ座布団(つまり敷布団代わりだ)にごろり横になる。 来るたびにごろごろとまるでクマのマーキングのように転がさせてもらっているので、出しっぱなしの座布団には少しずつ猿野の匂いが馴染んでいる。 そのまま転がっていると眠ってしまいそうで、腕を使ってにじってベッドに寄って、半端に伸び上がり頭を預けた。 ゆっくりと息を吸い込むと、犬飼の匂いがする。 肺の奥まで犬飼の匂いが染みてきて、肺の末端がじわり痺れる。 その、痺れは。 首を振ってその続きに来る思考を追い払い、ごろりと仰向けになった。 体を極端に冷やすことを嫌う犬飼の部屋は、夏場常に生暖かく、暑い日はじっとりと汗が出る。 カラカラ、犬飼の揺らすグラスト氷の音が、溶けてなめらかになってきた。 「暑ィ」 舌を出して呻く。 「暑ィイ〜〜〜〜イ」 「うるせえ」 「暑ィ暑ィ暑ィ暑ィ暑ィンだよコゲ犬めがよー。茶ぁもってこい。お茶おかわり。氷いっぱい入れろ。暑ィんだよ死ぬ」 「ガタガタぬかすな」 「そっちこそゴタゴタぬかすなーぁ暑ィ暑ィ暑ィ」 暑い暑いとわめき続けていると、突然ぬっと犬飼の手が目の前に突き出された。 口でも塞ぐつもりか、と歯をむき出すのと同時に、ぽた、と冷たい滴が頬に垂れた。 開きっぱなしの猿野の口に濡れた手で氷のかけらを押し込んで、 「それでしばらく大人しくしてろ」 犬飼は手をハーフパンツで拭きながらジャンプに戻った。 開いたままの口の中で、氷の表面が流れるように溶ける。 ひやりと濡れた犬飼の指が撫でていった唇が、濡れたまま、痺れた。 溶けっぱなしの氷が舌の上をすべり、滑った後から、溶けた水がノドに流れ込み、流れたそこから、痺れが広がっていく。 それこそ閉口して、眼も閉じて、呪文のように頭の中で呟いた。 甘くない、甘くない。 |
「甘くない」 2005/07/01 こんだけ匂い匂いいってるとまるで変態のようですね(私が)。 コーヒー牛乳に入ってたんだから少しは甘いに決まってます。ばかだなー。 |