何だって高校生にもなって、部活をするのに親のハンコが要るんだ、と、ワラ半紙の入部届を前に溜息をつく。
監督責任とか経済的な理由とか、理屈はわかるが、そういうものは自分には煩わしいだけだ。 「何なの、これは」 母親は、彼女がつっけんどんに差し出した用紙にさっと目を通すなり、尖った声を上げた。 「入部届。親の署名が必要だから」 極めて端的に説明して、母親から目を逸らす。見たくない。 母親は深く溜息をついて、眉間に手を当て俯いた。 数拍の沈黙を破ったのは母親で、娘に向かい、座りなさい、と自分の向かいの席を指した。 そう来ると思った、と言いたげにもみじは小さく舌打ち、乱暴に椅子を引いてどっかりと座った。 言われることは大体予想がつくっていうのに、どうしてわざわざ聞いてやらねばならないのだろう。 不機嫌を顕わにする彼女をじろりと睨んで、母親はわざとらしくテーブルの上で指を組んだ。 「どうしてなのもみじ、どうして野球部なの? わかってないの、野球部なんて入ったら高校生活のほとんどをささげることになるのよ、女の子だけのソフトボールとは違うのよ、おねがいよもみじ、ソフトボールでいいでしょ?」 野球部の練習がハードで毎日あって時間も長くて大変なことは知っている。 マネージャーの仕事が泥臭くてきついことも知っている。 それでもやりたいんだよ。 「野球部になんか入ったらお勉強追いつかなくなるわ。選手はそれでいいでしょうけど、もみじ、マネージャーなんて裏方じゃないの。主役になれるわけじゃないわ。それで成績が下がるなんてお母さん納得できないわ。大学はどうするの、浪人なんてさせられないわよ女の子なんだから」 大学までこのノリで保護者の権威とやらを振り回されるのだろうか、とげっそりした気持ちになりながら、テーブルの端を凝視していた目を母親にゆっくりと向ける。わかってくれないのかよという非難を込めて。 わかってくれよという嘆願を僅かに込めて。 それでも母親は全く変化しなかった。 「どうして、中学ではあんなにソフト頑張ったでしょ、今までどおりソフトでいいじゃない。もみじソフト好きでしょ?」 好きだよ。大好きだよ。 あんなに自分を解放してくれたスポーツはなかった。 でも。 「お母さんにはわからないわ、どうしてなの、野球部に好きな男の子でもいるの?」 気忙しげなその一言に、体中の血が逆流したような想いをした。 次の瞬間には声の限りに怒鳴っていた。 「ふざけんな!」 そんな、即物的なものではない。 そんな、単純に説明できるようなことじゃない。 野球をやりたいのだ。 野球を造りたいのだ。 たとえ裏方だろうと。 泥まみれになろうと。 成績が悪くなろうと。 こんな眼で、親に見られようと。 こんな声で、親に非難されようと。 娘の怒鳴り声に怯んだ母親は、震える声で、女の子がそんな言葉づかい……と詰った後、お父さんがお帰りになるまで待ちましょうね、と行って席を立った。 逃げていった。 その背中を、涙を浮かべた目で睨みつけながら、もみじは爪が掌に食い込むほど両手を強く握り締めた。 野球をやりたい想いを充分に説明する言葉を持たない自分が情けなかった。 何もわからないで心配しながら娘をこんなふうに傷つける母親を馬鹿だと思った。 どっちもどっちだ。 頬をつたう涙を拭いながら、でも、やりたいんだよ、そう彼女は呟いた。 |
「15の少女とその母親」 2004/11/25 清熊家捏造。どこにでもあるような衝突だと思うのです。部活に入れと煩い親もいれば、入るなと煩い親もいます。 今時、野球部のマネージャーになると言われて喜ぶ親は根っから野球が好きか、打ち込むことさえあればいいという開放的な人格であるか、よほどの野球名門校の場合のみだと思います。 ちなみに私は親の署名を偽造して部活した過去があります(笑)。 |