遠くで、サイレンが唸っていた。
「冬でもねえのに多いよなあ、最近」 季節は夏に差し掛かるあたりで、夕方になれば幾分ましになるものの、風はじっとりと肌にまとわりつくようになっていた。サイレンの音が遠く駆け抜けていくのを見えもしないのに振り返り、猿野は心配そうな顔をした。 消防車とか、救急車とかが走ると、今にも人が死ぬんじゃないだろうかという気がしてくる。 死なせないために走ってんのにな、と口の中で呟いて、そういえば先日も学校の近くで火事があり、話題になったことを思い出す。 「こないだの火事、放火だったらしいぜ」 「オレんちの近所でも、放火でボヤが出たらしい」 「うわ、連続放火魔?」 ついにうちの地区でも出たかー、厭ねー、誰かしらーとぶちぶち言う猿野に、犬飼はぼそりと言った。もちろん嫌がらせで。 「オマエが犯人じゃねーのか」 「酷いわ冥キュン! アタイを犯罪人扱いするなんて!!」 流石にむかっときて、猿野が噛み付く。でも明美化するのは忘れないあたり、芸人魂というべきか。 「いやお前の存在そのものが犯罪だろ」 言いつつ、話題がリアルだっただけに、流石にさっきのは失言だったろうと思い、犬飼は少し口を閉じた後、 「あー……とりあえず、悪かった」 と謝った。 「謝るくらいなら最初っから言うな」 声だけはぶすくれて、けれども表情は和らげて猿野は犬飼から視線を逸らす。 しばらく無言のまま歩いた。お互い気まずいような、自然なような、なんともいえない感覚を味わいながら、少しだけ涼しくなった風に髪を揺らす。 夕日の色が犬飼の髪に反射していた。いつもは冷たい銀色が優しい火の色に見えて、猿野に花火を思い出させた。 「そんなに火が好きなら、花火職人にでもなればいいのによ」 ごく自然にさっきの話題に戻り、そうだよ、その方が生産的だ、と腕を組む。 猿野は徹底的にプラスな存在だ、と犬飼は思う。正負のプラスではなくて、陰陽のプラスだ。 考え方とか、影響力とか。 「そうだな」 陰陽のバランスがどちらかといえば陰に傾きがちな自分には、だから強烈なんだろうかなどと考えながら、犬飼は上の空で頷く。 「そうか、花火職人になればいいのか」 その言葉に他意はなかったのだが、猿野は一瞬怪訝な顔をして 「犬コロ、お前まさか……」 と大仰に退いた。 その反応がさっきの仕返しであり、また猿野が他人の言っていることをいまいち理解できなかったときによくみせる茶化しなのだと犬飼はすぐに気づいたので、軽く腕を振って、鞄の角を猿野の尻にぶつける。 「てめーな」 ウシシ、と笑って猿野は目を細める。 「んー、わりぃ」 「謝るくらいなら、はじめから言うな」 同じように返しながら、どうして自分が花火職人になればいいのかと呟いたのだろうと考える。 「犬コロ、火ィつけたくなることあるんか」 「ねえよ」 「じゃ、花火職人になりたいんか」 「いや」 「じゃなんで」 猿野は遠慮なく切り返してくる。 ノリツッコミなら同じテンポで返せるのだが、真面目な話になるととたんに頭の回転に差が出るのをいつも感じる。 黙って考え込む犬飼を急かしもせず、不快感を抱く様子もなく、猿野は少し足取りの遅くなった犬飼に合わせるついでに、ズボンのポケットから硬球を取り出して、掌の上でころころと弄びはじめた。 「……放火ってのは、何か抑圧があるからするんだろう」 「犬が難しい単語を知っている!」 間髪入れずに律儀に茶々を入れてから、真面目な顔に戻って、うん、と頷く。 「そうだな、何もなくて放火なんかしねーだろうな」 犬飼もまた律儀にゲンコツを猿野の後頭部に入れ、無愛想な顔のまま、また、考える。 「放火とか、そういうことしたくはなんねーけど、抑圧ってんなら、オレにもある」 と思う、とぼそりと言う犬飼は、随分冷静になったし、自分のことを考えるようになったと思う。 一年前は、触れられるのを拒絶するというよりも、自分が出していた結論をそれ以上いじることに対して、すぐさま牙をむいていた。 憎む、負かす、負けない、勝つ。 そんなことばかり頭に浮かべていたんじゃなかろうかと、今は夕日の色に半分染まっている銀色の逆毛頭を見上げる。 そういう犬飼に比べたら、少しくらいヘタレでとろくさく見えても、こうやって言葉を捜す犬飼のほうがいい。 「うん、そだな」 こっくり頷いて、余計なことは言わないで、次の言葉を待ってやる。 「抑圧されてるもんがあったら、それはどっかで発散させなきゃいけなくて、それが放火に向かってるヤツもいる」 「うん」 「しょうがないのかもしんねえけど、しょうがなくないし、よくねえよな」 「うん、よくねえな」 「放火しか見つけらんなかったヤツは、なんか気の毒だ」 気の毒だ、と呟く犬飼があんまりお人好しに見えたので、思わず下腹に力を入れて笑いをこらえた。 「気の毒、かよ」 「だって」 ちらり、と猿野の右手のボールに目をやって、それから猿野の目を見た。 「とりあえず、オレだったら野球をすればいいんだと思う」 その答えがあんまり真っ直ぐで、当たり前で、純粋なので、猿野は思わず吹き出さずにいられなかった。 「まあ〜単純明快! シンプルすぎていかにもお馬鹿の冥キュンっぽいわ〜」 「……ッてめえブッコロ」 犬飼が繰り出す拳をひょいひょいとかわしながら、犬飼のその気持ちが自分にはよくわかる、と猿野は思った。 わかり過ぎて、苦笑いが浮かぶ。 自分にとっての野球。犬飼にとっての野球。 お互い、野球の恩恵を受けて今を生きている。夜空に想いを込めて花火を放つように、犬飼は投げる球に魂を込め、猿野はその球を打ち返すことに己を賭けている。野球と共に生きている自分たちは、抑圧していた陰気を野球をすることによって放り投げて、プラスの存在でいられる。 「はは、ま、オレも同じだ」 「ああ?」 優しい火の色だった空と犬飼の髪は、その名残を残しつつ薄闇に包まれ始めていた。 「結局、野球やってる」 つまり猿野にも何か抑圧やら何やらがあって、犬飼よりも遅くはあったが野球に辿り着いて今は野球をやっているという話だ。 と、犬飼が気づくのはそのやりとりの数分後、とっくに別の話題に忙しく猿野が舌を回転させているころで、突然ぼそりとお前も同じかよ、などと呟くので、猿野はそのタイムラグに呆気にとられた後、公道のど真ん中にしゃがみ込んで死ぬほど大笑いするはめになった。 |
「パイロマニア」 2004/07/08 台詞のたどたどしさとか単語の使い方のスマートじゃないとことかに男子高生っぽさを出そうと頑張ってみました。文字にしてみるともどかしいんだけど、男の子のしゃべりかたって、スマートじゃないんだよね。 それから微妙に会話がリンクしてなさげなところに次々流れていく日常会話の匂いを。うまくいったかなあ。 時期的には、猿野たちが2年生の初夏っていうことで。当たり前に二人で下校するくらいに仲良くなったけど、まだデキてはいないかな。 |