人と人との間で秘密が持たれるという事は、それだけ親密だということだ。


 猿野と虎鉄が何やら頭を寄せ合ってひそひそと言葉を交わしている。
 時折二人して吹き出し、確認するようにあたりを見回してはまた頭を突きあわせる。
 このくそ暑いのによくくっついていられる、と顎に溜まった汗を手の甲で拭いながら犬飼は思う。

「なッんだ何だおッ前ら、何の相談事だ?」
 獅子川ががば、と二人の間に割って入り、虎鉄の肩に腕を回し、猿野の頬をひねり上げた。
「いででででで、シシカバ先輩、痛い!」
「HAHHA〜、獅子川の兄貴といえどもナイショっすYo!」
「なッンだと、この!」
 笑いながら拳をこめかみにねじ込まれ、虎鉄は情けない悲鳴を上げる。

 獅子川の脇の下で虎鉄と、猿野がじたばたする様を、犬飼は少し複雑な感情を抱きつつ見ていた。

 ひとしきり後輩二人をぎゃあぎゃあ言わせると、獅子川は満足したようで、
「すッッきりしたぜッ」
 と歯を見せて笑いすたすたと歩き出した。

「てめえこの、シシカバ!」
「まったくあのヒトはYo……」
 猿野は獅子川の背中に向かって拳を振り回し、虎鉄は痛むこめかみを抑えながらしゃがみ込んだ。
 獅子川は猿野の怒声に「ちゃきーん」と背中越しに二本指を立てて見せ、高笑いしながらぽつんと突っ立って自分たちを見ていた犬飼の肩を叩きながら通り過ぎ、今度は牛尾と蛇神に絡みに行った。

「こーてつー! 無駄話しとらんとこっち手伝わんね!」
 遠くから猪里の呼ぶ声がして、虎鉄が慌てて立ち上がった。

「何?」
 猿野が訊くと、
「ちょっとNa」
 はぐらかし、虎鉄もいなくなった。

 一人になった猿野は、獅子川に絡まれておたついてる牛尾たちを見て笑いながら、ごく自然に犬飼の方に向かってきた。
 夏の炎天下、日陰にも入らず休憩時間を過ごす自分たちは何かおかしいんじゃないだろうか等と意識を半分外にやりながら、犬飼はじっと猿野が近づいてくるのを見ていた。

 見ていたというよりは、待っていたという方が正しいのかもしれない。

 猿野は何故だか笑っていて、犬飼に近づくなりその腹をどついた。
「何だ犬コロ、モノ欲しそーなツラしやがって」
 にやにやという癇に障る表情は優位に立った者のそれで、犬飼は歯噛みしたくなる気持ちを抑えた。
 見抜かれたことを、悔しいと思う。
「黙れクソ猿」
「お犬様ったら、お下品ー」
 猿野のにやにや笑いは止まらず、上目遣いで覗き込んでくるのに半ば本気で殺意を覚える。
「ぶっころ…」
 低く呟くと、猿野はあっさり犬飼と距離をとり、両手を頭の後ろで組み合わせてふんぞり返った。
「短気だなー、犬よ、お年頃だな」
「ああ?」
「自分に知らせてもらえぬことがあると気になってしょうがないのじゃろう、うむ、わしも若い頃はそうだったのう」
 今度は背中を丸め、ありもしない髭をしごくしぐさをする。
 泥まみれのユニフォームを着て、髪も肌も日に焼けて若々しく汗にまみれた猿野のする老人のしぐさは滑稽で、周りにギャラリーが居たならそれなりに笑いを誘ったのだろう。

「気になるんでしょ、明美とキザトラ先輩のヒ・ミ・ツ☆」

 一転して明美化し、腰をくねらす猿野に犬飼は目眩と頭痛を覚えた。
「……それは訊いて欲しいということか、あさましいな猿だけあって」
 なんとか一矢報いたつもりだったのだが、猿野はケロリとした顔でまっさかあ、と手を振った。

「お前にゃ教えねーよ!」

 ぎゃはは、と言い放つ声は明るいのに、とてつもなく残酷だと犬飼は思う。
 自分は獅子川のようにさり気なく離れていくことはできない。
 認めたくはなかったが、気になるのだ。
 知りたいわけではないが、知ることができないのが、不満なのだ。

 まったく自分はコドモだと思う。
 そのコドモの部分は猿野に気づかれて、その上で猿野は自分を突き放す。
 まったく、腹が立った。自分にも猿野にも。

「……お前のあのこと、ばらしてもいいのか」
 悔しさに、口をついて出るのは途方もないハッタリだった。
 こんな見え透いたハッタリにはいくら目の前の馬鹿でも引っ掛かるまいと、言ってしまってから内心焦った。

「ナヌッ! いいいいいやん、それはダメ〜!」
 突然落ち着きをなくし慌て出す猿野に、半ば呆然となる。まさか引っ掛かるとは。

 自分と猿野の間に、秘密なんか、ない。
 秘密にしておかなければならないようなことを自分は猿野に晒したことはないし、猿野から晒されたこともない。

 自分の秘密は今のところ自分と辰羅川だけが持っていて、他の人間には渡したことがなかった。
 だから、自分は同じハッタリで猿野に脅されたとしても決して動じることはないし、何も知らない癖にと切り返すだろう。
 何か間違って、本当に猿野が自分の秘密を知ってしまったとしたら、拳を振り上げ忘れろと猛ることだろう。

 それなのに、猿野は、犬飼に秘密を握られてることを疑いもしないし、また嫌悪する様子もないのだ。

「ナイショはナイショなんだからナイショにしておけ!」

 目の前の猿は意味不明なことを喚いている。
 遠くから牛尾が集合を呼びかける声が聞こえて、あちこちに散っていた部員たちがホームベース付近に集まっていく。
 自分も駆け出すと、猿野も走り出す。走りながら、内緒だ内緒だと煩く喚いている。

 とにかく煩いので、そういうことにしておいた。
 自分と猿野がそれなりに親密だということにしておいた。

「わかったわかった。言わねーでやるから感謝しろそして黙れ」

 猿野はほっとしたように溜息をついて、それから犬飼を抜いて、子津の隣に並んだ。
 犬飼は辰羅川の隣に並んで、これで一部の三年を除いて全員が揃ったらしい。牛尾が練習メニューについての説明を始めた。

 横目で猿野を見ると、その視線に気づいて猿野が気遣わしそうに目配せを返してくる。

 それが可笑しくて、なんだか本当に、猿野の秘密を知りたくなった。
 なんでもいいから、秘密になるようなことを、知りたいと思った。










「ひみつ」  2004/07/02
こんなカンジでだんだんだんだん犬が猿を意識してゆくんです。うちでは。