「声出してこーッ!」


 女子特有のハリのある声に、ぼんやりしていた猿野は、は、と顔を上げた。

 放課後の部活の、ごく普通の全体の守備練習中。
 今は賊軍が優先にグラウンドを使う時間で、彼らは特に基礎的な練習をこなしている。
 セオリーどおりの練習というのは、気を抜くと流れ作業になってしまいがちなものだ。
 そんな時は、キャプテンの牛尾や、女子マネがこうやって声をかける。
 賊軍はその声に弛んだ空気を引き締めて、オーッスとかウーッスとか返事をする。
 全体の動きがよくなった。

「もみじさん、気合入ってるッスねー」
 メガホンもなしにグラウンドに響き渡るほどの大声を出せる女子というのは、そういないのではないかと猿野は思う。
 清熊は腕いっぱいに用具類を抱えたまま振り返ると、
「あたりまえだろ!」
 と休憩中の猿野を睨みつけて、それから少し笑った。
「お前もぼんやり見てねーであいつらの守備に合わせて体動かせよ。シロートは休んでるヒマなんかねーぞ」
「あー……そっすね」

 猿野の守備はまだまだザルだ。
 雄軍はおろか賊軍の誰と比べても劣るだろう。
 グローブをとんとん、と叩くと、猿野はサードで守備練をしている部員の動きを真似はじめた。
 ボールの正面に体を置くように意識する。右手をグローブに添える。実際自分でボールを追いかけていると流れてしまいがちな基本の動きをしっかりと確認しながら動く。
 ああ、基礎ができてるってしっかりしてんなあ、と思った。


「あ、兄ちゃんがミラーやってる」
 兎丸の嬉しそうな声が聞こえて、猿野は少し恥ずかしいと思った。
 いやいや天才はじっとしていらんねえからよとか言い訳しかけたが、
「僕もやろーっと」
 という声が聞こえて、今度は恥ずかしいと思ったことが恥ずかしくなる。
 こうやって努力するのはあたりまえのことなのだ。

 一緒に来ていた司馬も加わって、三人で並んでそれぞれの動きを繰り返す。
 清熊は満足そうに笑って、兎丸が放り投げたタオルを拾った。


 練習もトンボかけも終わり、いつもどおりに、猿野はマネージャーの仕事を手伝おうと猿野は部室棟脇にある洗濯機に駆け寄った。
 洗濯が終わって、清熊と猫湖が洗いあがった布を洗濯籠に放り込んでいる。

「今日はもう力仕事は終わったぜ」
 部活中に激を飛ばすときとは違う、女子にしては低く、やわらかい声で清熊が言う。気になるほどではないが、少ししゃがれていた。
「んじゃ洗濯物干すの手伝いますよ、凪さんは部日誌っすよね?」
「ああ。じゃあ頼む」
 湿った布類が山盛りになった洗濯籠をずど、と猿野に押し付けて、隣の洗濯機の蓋を開ける。
 60人を越える部員の洗濯物となると、一つの洗濯機ではおさまらない。
「了解しやした〜」
 清熊が両手で持ち上げたそれを、左腕一本に抱えて猿野は敬礼してみせた。
 そのまま慣れた手つきで物干し竿の間に紐を引っ掛け、端から洗濯物を干していく。
 女子二人が別の籠に洗濯物を積み上げてもう一本紐を張り渡し、同じように端から干しはじめる。

 二人がかりの清熊たちが猿野と並ぶようになったあたりで、部日誌を書き終えたのだろう凪が更衣室から出てきた。
 猿野が手を振るのににっこりと応え、三人のいるところに駆け寄ってくる。
「もみじちゃん、これ」
 と凪が何かを清熊に手渡した。そして、私日誌提出してきますから、とまた駆け出していく。
 その後姿をうっとりと見送って、猿野は清熊にたずねた。
「何もらったんすか?」
「飴だよ、のど飴」
「もみじはいつもたくさん声出ししてるから、かも」
「あー」
 猿野は頷く。
 はたはたと洗濯物が揺れて、ときどき頭の後ろやら顔やらにぶつかる。

「声出し、ね」
「何だよ?」
 聞き返されて、あーとかうーとか、少し唸った後、猿野は口にした。
「なんか不思議ッス」
「あ?」
「声出しとかって、特に野球部の声出しなんてでかすぎうるさすぎ近所迷惑騒音公害って思ってたのに」
「あんだとてめえ」
 清熊の声がとたんに低くなって、猿野は飛び上がる。
「だってホントのことじゃないですか! でっでも昔はそーだったのに今は声出しすっげー好きっつーか!」
 焦ってわたわたと両手を頭の上で振り回す猿野に、少しだけ清熊は笑う。
「ならいいけどよ」
 さ、終わらすぞ、と洗濯籠に屈みこむ清熊にならって、猿野もはたはたとまとわりつく洗濯物を押しのけて手を伸ばした。

「つか、いっそ苦情くるのが当たり前くらいに頑張んないと、ダメっすよね」
「猿のくせにわかってるじゃねえかよ」

 ちょうど背中合わせの形になって洗濯物を干しながら、明日も清熊の声で喝を入れてもらえたらいいと思った。
 同時に清熊が声を嗄らさなくていいように、最初から大声を出して部活しようとも思った。
 ご近所から苦情が来るくらい声を出して、それさえも少し得意に思うくらいに頑張って、それで一緒に甲子園に行けるといい。










「声出し」  2004/05/18
もみじちゃん大好きです。猿熊ぽいですがそうではないです。仲間です。カプリング推しなら獅子熊です。
野球部の声出しはすごくうるさい。音量がハンパない。私が知ってるのは中学野球ですが。
でも私は、近所の人から苦情来たらしいよ、と噂に聞くと彼らのことを誇らしいと思いました。そんくらい頑張ってるのよって。
甲子園に行けたら、苦情の声も祝福の声に変わるでしょう。頑張れ十二支。