ワンアウト、カウントツースリー、ランナー一塁。
バッター、ミスターフルスイング。



フルカウント





















 ギラギラとした、梅雨明け後のキツイ日差しが突き刺さる、十二支高校のグラウンド。
ジイジイと、蝉の鳴き声。
耳に残るその声が一瞬途切れたのは、
ボールがミットに収まるズン、という重い音が響いたからで。
「ナイスボールですよ、犬飼君!」
最上級生になっても相変わらず、「褒めて伸ばす」を信条とする辰羅川が、
膝立ちして、マウンド上の犬飼へとボールを投げ返してくる。
受け取った途端、顎から滴り落ちる汗。
グラブをはめた右腕で拭って、バッターボックスを睨みつける。

そこには、同じく顎を伝う汗を乱暴に拭う、猿野の姿。

あの運命の入部試験を、因縁の対決を思わせるような構図。
けれど、あの日のことを直に知っているのは、今では三年生連中と羊谷だけ。
勿論、下級生たちも、伝説として話は知っているけれど。
ただし、それはお喋りな猿野がかなり誇張した、事実には程遠い伝説だったりする。


それでいい、と犬飼は思う。
あの日の熱を理解するのは、どれだけ言葉を尽くしたとしても、無理。
狂気にも似た熱は、あの場にいた、いや、対決した二人にしか理解できない。
それが、いい。


「おらあっ、この駄犬っ、ちゃっちゃと投げんかい!」
 しかし、ちょっとした過去への感傷は、単細胞な打者の怒声に吹き飛ばされる。
全く、情緒もへったくれもない猿だ、と思わず吐息を一つ。
まあ、マウンド上で感傷に浸っている自分もどうかと思うが。
全ては、気が遠くなるようなこの熱気と頭上の太陽の所為、そういうことにしておく。

 ちら、と一塁の兎丸に視線を遣る。
ワンアウト、フルカウント。
上手く行けば、あと一球でゲッツーだけれど。
この場面、俊足の兎丸ならば、さて。
 辰羅川と、サインの交換。
ちらり、とバックを守る後輩たちに目配せ。
まだまだ守備の穴が多い二年生のショートが、腰を落とし、頷いた。
先輩同様ザルの守備が玉に瑕なサードの一年生も、自信満々に頷く。
その根拠のない自信、ああ、誰に似たんだか。
 バッターボックスの猿野は、ゆったりとした構えで、次の一球を待っている。
学年が上がるごとに、打席に立つ姿に風格さえ漂わせてきている、とは、
某野球雑誌の記者の言。

確かに、否定は、しない。
しないが、こっそり付け加えてやりたい。

『バッターボックスでの集中力は、野球を始めた日から、群を抜いていた』なんて。


 もう一度、一塁を視線だけで牽制し、ボールを握りなおす。
球種は、ストレート。
それも、猿野が愛してやまない、剛速球。
セットポジションだから、球威は若干落ちるが。
それでも。


指先を離れたボールが、プレート上に届いた瞬間、
猿野の口元がにやりと笑んだように見えたのは、気の所為だろうか?





振りぬいたバットの真芯で捕らえた打球は、音さえ立てず。
遥かフェンスを越えて、校舎の当たりに吸い込まれていった。


「よっしゃあぁ!!」
拳を突き上げた猿野が、雄たけびを上げる。





見事な、いっそ清々しいほど綺麗なホームラン。





















が。



「コラァ、なにしてやがるっ、このバカがぁ!」



ベンチの羊谷が、仁王立ちして怒鳴り声を上げた。

その視線の先にいるのは、打たれた犬飼ではなく。





















「テメエ、ホームラン打っちまったら、フォーメーションの練習になんねーだろうが!」


羊谷の怒りの矛先は、まっすぐバッターボックスの猿野に。




















そう、自分たちは別に、紅白戦をしていたわけではなくて。
ワンアウト一塁で打者が空振りした際の、フォーメーションの練習をしていたのだ。




つまり、猿野のやるべき仕事は。
ホームランではなく、空振り三振。





















 ガシガシと頭を掻きながら、バッターボックスに向かう羊谷。
明らかに怒り心頭といった表情にも気づかないのか、
猿野はまだ、ホームランの余韻に浸って騒いでいる。
あ、殴られた。
「痛ぇ!」
「痛ぇ、じゃねえだろう、全く。
 これじゃあ、一,二年どもの練習にならんだろうが。
 もう少し、三年として自覚を持て、自覚を!
 …って、テメエにそんなもんを求めるのは、無駄か。」
「だってよぉ…。」
ゲンコツを落とされた頭をさすって、ブツブツと口の中で呟く猿野。
そんな態度が気に入らなかったのか、もう一度、ゲンコツをお見舞いされる。
いい気味だ、と口元をグラブで隠し、犬飼は含み笑い。
だって。
「一度や二度ならまだしも、三度目だぞ、たく、テメエは。」

そう、一度目はファウル、二度目はヒット、三度目の正直でホームラン。
つき合わされているこっちの身にも、なって欲しい。

そうでなくとも、猿野とこんな茶番のような対決、したくはないのに。


猿野と対決するならば、あの入部試験のような真剣勝負がいい。


「もういい、別のやつにやらせる。
 罰として、テメエはあっちで正座してろ。」
「えー!」
「えー、じゃねえ、早く行け!」
「ちぇ。」
 舌打ちをして、のろのろとグラウンドの隅、スコアボードの前に駆けて行く猿野。
がっくり、そう書いてあるような背中を見遣って、少し溜息。
同情は、しないけれど。
でも、まあ、気持ちが分からないでもない。

特に、今日は。
だって、今日は。

 仕切りなおしだ、と叫ぶ羊谷の声に、再びキャッチャーの方に向き直る。
バッターボックスに入った司馬には悪いけれど、
やはり某野球雑誌の評価は正しかったな、と改めて思った。
スラッガーの風格。
なるほど、こうも違うものなのだ、と。













          ◆

「どーせ、バカにしにきたんだろっ、クソ犬。」
 休憩時間、まだ正座させられている猿野のところに行って、
いきなりかけられた言葉が、これだった。
まるで子供のような膨れっ面をして、じっとりと上目遣いで犬飼を睨めつけて。
羊谷が見ていないのをいいことに、足を崩した嘘正座。
小憎たらしい態度に、あとで羊谷に言いつけてやろうかと、
犬飼もまた子供じみたことを考えて、思わず胸のうちで苦笑した。
どっちもどっち、どんぐりの背比べか。
「別に。子津に行けって言われたから、来てやっただけだ。」
「ケッ。」
キャプテン命令だから、仕方なくて。
そんなニュアンスの言葉に、猿野の機嫌は悪くなる一方。
珍しく、ムッと口を噤んで、じっとグラウンドを睨んで。

猿野の気持ち、分からないでもない。
ホームランを打ちたくなる、その気持ちは。


だって、今日は、普段とは違う、特別な日。


野球の神サマは、案外意地が悪いらしい。
今日、この日、もし試合があれば。
地方大会の日程が、組まれていれば。
あんなふうにホームランを打ったなら、誰からも祝福されていたはずなのに。
メモリアルホームランとして、記録にも記憶にも残ったのに。

だから。
野球の神サマの代わりに、今日くらい、甘やかしてやってもいいかも、なんて。


らしくもない、今世紀最大級の衝動に突き動かされて。
埃プラスアルファでカラカラに渇いた喉から、声を絞り出そうと、唇を動かした。


まさに、その瞬間。





















「あーもうっ、誰だって、誕生日のメモリアルアーチ、打ってみてーじゃん!
 つーわけで、ハッピーバースディ、俺サマ!!」




そう、今日は7月25日。猿野天国の誕生日。
一年に一度の、特別な日。





















 猿野がヤケクソで叫んだ科白に、哀れ犬飼は玉砕。
『さっきの、メモリアルアーチだな、…誕生日おめでとう、猿』、
そんな言葉をプレゼントしてやろうと思ったのに。
たまにはコイビトらしく、甘やかしてやろう、とか。
コイビトの考えくらいちゃんと分かってるんだと、見せ付けてやろうとか。
全部全部、猿野に先を越されて敢え無く失敗。

ああ、せめて、「誕生日おめでとう」くらい、言われる前に言いたかった。

 仏頂面のまま、その実、内心で項垂れる犬飼。
と、タイミングがいいのか悪いのか、遠くから猿野を呼ぶ羊谷の声。
グラウンドを渡る熱風に乗って届いた言葉の内容から、どうやら、お仕置きの時間はお終いらしい。
うーん、と伸びをして立ち上がる猿野。
パンパン、とユニフォームについた砂を払いながら、にやっと笑って犬飼を見上げて。


「テメーみてえなヘタレに、かっこよく祝われてたまるかってんだ、駄犬のくせに、百年早えーぞ。」


なんだ、全てお見通しだったのか。
バカのくせに、こういうことには聡いのだ、この男は。
それとも、自分がこういうことに関して、単純すぎるだけか。

 立ち尽くす犬飼の横を、猿野はすり抜けていこうとする。
このまま行かせてしまうのは、このまま負けっぱなしなのは、なんだか癪だ。
いや、癪以上に、コイビトとして情けなさ過ぎる。
とはいえ、口下手な自分に、気の利いた科白など思いつくはずも無くて。
猿野が横を通り抜けようとした瞬間、咄嗟に。




「ナイスホームランだったから、お祝いとか、するか。」




ぴたりと立ち止まり、まっすぐに犬飼の方を見た猿野からの返事は。




「当然じゃ!盛大に祝えよ!」




そして破顔一笑すると、まだ立ち尽くしている犬飼を残し、
こちらを見て笑っている三年生連中のもとへと駆けて行った。

 遠ざかっていく、一転して上機嫌な背中。
犬飼もゆっくりと猿野の後を追いながら、
ホームランのお祝いだから、ホームランバーでいいだろうかなどと、
くだらないことを真剣に考えていた。
















今年の誕生日プレゼントは、メモリアルアーチ、なんて。
勿論、ちゃんとしたお祝いは別に用意してあるけれど。























大崎要さんより:
祝・さるばか復活!&猿誕企画!
主催のかのやさん、お疲れ様!&素敵な企画をありがとうですv

あ、申し遅れました、私め「ブラウンカンライフ」の大崎要と申します。
今回のさるばかの猿誕は参加型企画、ということで、手術前に駆け込みで何とか参加させていただくことができました。
それにしても、素敵なお題ばかりでどれを選ぶか迷いまくりました!
ちょっと捻りを入れて書いてみたつもりなんですが、いかがでしたでしょうか…?
手術前という限られた時間だったので、あまり文章を練りこめず、それだけが心残りですが、とにかく素敵企画に参加できてよかったです☆

ではでは、最後に一言。
ミスフルは、永遠に不滅です!!これからも愛し続けますぞー!
そして、天国さん、お誕生日おめでとう!!
かのやより:
むちゃくちゃ野球やってるお猿をありがとうございます!
青空の下であの子たちが生き生きしてるのが伝わってきて、ほんとに幸せ。これぞ猿誕!
ご参加、そしてぶっちぎりの一番乗り、本当にありがとうございました!

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